スピリチュアルのすすめ

スピリチュアリズムについて記事を書いてます。

地獄の最恐心霊スポット

皆さんは東京に行ったことはあるでしょうか。

日本というと北は北海道、南は沖縄まで色々な気候や文化がありますが、今現在の東京というは余りにも狂ってしまっているように思います。

 

例えば、夏は熱帯地域のように暑く、冬は雪が降るくらい寒い。

そして、空を見上げれば本来日本にいるはずのない鳥が飛んでいて、周りを見渡せばコンクリートと人ばかり。

自然といえば人口的に植えられた木々が少々。

空気は排気ガスの匂いが充満してしまっています。

また、昼も夜も関係なく明るく星空はほぼ見えない。

 

実は、私も東京に居たことがありますがやっぱり居心地はとてもいいものではありませんでした。

階層の法則(ステージの法則)

今回はとても耳の痛い話になるかもしれません。

まず、スピリチュアルの法則の内の1つに階層の法則というものがあります。

階層の法則とは、少し話が長くなりますが、私達は現世で寿命を全うし肉体を脱ぎ、魂のみになると次に進んでいく世界がありますね。

それが幽界です。

現世では様々な考え方を持つ人が共に地球で生活をしていますが幽界はまた別世界が広がっています。

幽界では大きく分けて幽界下層部、中層部、上層部と分かれていて、これまでの魂の成熟度によって無数のグラデーションのように同じ考え方を持つ魂同士が同じ空間で生活するようになります。

このように魂の成熟度によって魂が階層ごとに分かれて生活していくことを階層の法則といいます。

魂の成熟度というのはどれだけ善(真理)で生きているかで判断します。

ですから憎まず恨まず、許し思いやりを持ち、世のため人の為に生きたものほど将来幽界の上層部へ行き、自分のことだけを考えて私利私欲に塗れて生きたものほど幽界の下層部へと移行していくことになります。

そして、上層部はとても幸福な空間となっています。

中層部辺りで生活している魂もとても幸福な空間だとそこで生活する霊は答えるそうです。

そのような中層部辺りの魂でも更に上の上層部へと移行すると更に凄い幸せな場所だと答えるので幽界上層部は想像を絶する幸せな場所なのかもしれません。

 

また、現世というのはあの世とは真逆の価値観です。

ですから、もしかしたら今現在一生懸命誠実に生きているのに苦しい立場に置かれている人もいるかもしれません。

でもまったく問題ありません。

良い行いをすれば良い行いが返ってきて、悪い行いをすれば悪い行いが返ってるというカルマの法則から必ず最終的に幸せになれることが目に見えています。

何も落ち込む必要はありません。

むしろそれだけの苦しみを耐えられる器なのです。

それだけ大きな器だからこそ将来大きなお役目を真っ当する為の学びでもあります。

もしかしたら自分には何もない人生で失敗だったと思っている人もるかもしれません。

しかし,自分自身が誠実に思いやりを持って一生懸命生きているなら何も心配はありません。

その素晴らしい人格にもっと誇りを持っていい器なのです。

 

逆に、誘拐の下層部はどういう空間かというと地獄のような空間です。

地獄といっても針千本の山や鍋でグツグツ煮込まれて苦しめられるということはありません。

というのも地獄の空間というのはまさに今私たちが生きているこの現世と同じような景色をしています。

 

冷静に考えたら何となくわかりますが、現世というのは意外と世のため人の為に生きているのに虐められたり苦しい思いをしていたり、私利私欲に満ち満ちているものほど出世していき倫理もクソもないような人の方が褒め称えられていたりするということがあります。

 

いつの時代でも私利私欲にまみれている人はいますね。

しかし、現代ほどそのような私利私欲にまみれた人々が称賛されている時代はあったでしょうか?

堕ちるとこまで堕ちてしまった現代ではそのような未熟者ほど褒め称えられる時代となってしまいました。

何故、未熟者ほど褒め称えられるのでしょうか?

それは、多くの人がそのような未熟者を称賛するからですね。

何故、称賛するのでしょうか?

それは、私利私欲にまみれていても裏でどんな酷いことをしていても、結果を出せばそれでいいんだという考えを持っているか、そこまで深く考えずに物質に満たされれば満たされるほど幸せで正しいんだと教えこまれたからかもしれません。

 

しかし、それでは幸せにはなれません。

どんなにお金持ちや結果を出しても人は満たされることはありません。

真理に生きなければ幸せになることはありません。

真理とは難しいことではありません。

全ての命は自分自身であるという理解と困っている人への奉仕です。

その理解がなければ永遠に幸せにはなれません。

しかし、その理解を教えることができる人が殆どいなくなってしまいました。

まさに無智の世界ですね。

無智とは悪です。

悪とは苦しみです。

その無智で現代は充満しています。

まさに現代は何が正しくて何が正しくないのかもわからない無智という名の地獄の中でもがき苦しんでいる最中です。

だからこそ現世を生き抜くためにスピリチュアリズムという叡智で生き抜いていきましょう。

地獄の象徴

地獄のような荒んだ魂は荒んだ環境を好みます。

また、荒んだ波長は環境へも影響を及ぼします。

 

なぜ、人々の多くは東京に住むのでしょうか?

勿論、生まれ育ったところだからとか、本当は嫌だけど生活の為に仕方なくという方も多いはずです。

私も仕事の為に年に一度、新潟から東京へ行くこともあります。

しかし、今の東京は霊界から見た最恐心霊スポットと思って生活しなければいけません。

 

そんな東京ですが、世の中にはそんな東京という環境が好きだという人もいるでしょう。

はっきりいってそれは完全に危険なサインです。

波長が地獄並みに堕ちてしまっているのです。

別の言い方をすればそれだけ物質的価値観に染まってしまっているといえるでしょう。

 

そして、その様な物質的価値観よ波長の人々が集まっていき、物質を満たす為だけのために環境を壊し、夏は酷暑とゲリラ豪雨、春秋は無く、冬にはコートを着て雪が降るというメチャクチャな環境を作り出します。

東京はまさに幽界の下層部である地獄といえるでしょう。

 

とはいえ恐ることはありません。

地獄を天国に変えることはできます。

その為には一人一人が思いやりを持ち、身勝手な嘘をつかず、憎まず、恨まず、物質に染まらず、心の物差しで相手の言葉が本物か偽物かを見分けなければいけません。

見分ける為には、一人一人が思いやりを持ち、身勝手な嘘をつかず、憎まず、恨まず、物質に染まらず清い心でなければ見分けることは難しいでしょう。

自分がまとも、自分が正しい、自分が偉いという傲慢さが1ミリでもあれば視野が歪んで本物と偽物の区別がつきにくくなり、歪めば歪むほど本物と偽物が逆さまに写ってしまうのです。

日本の縮図

話は変わりまして少しお堅い国会の話をスピリチュアルな視点から少し話していきます。

皆さんは政党の名前っていくつ言えますか?

一昔前は自民党、公明党、野党第一党がちょこちょこ名前変えて、共産党と社民党くらいだったと思いますが、今はインターネットの影響もあって政治家もいないような小さい団体も含めるとジワジワと増えてきていたりしますね。

 

最近は多様性という言葉がよく使われていますが、インターネットで誰もが自由に発信できるようになって色々な意見を聞けるようになったと同時に、不思議なもので国会でも多様な政党が出てきてまさに多様性となっています。

まさに、国会は日本の縮図といえるのではないでしょうか。

 

ということは日本の代表である議員も同じです。

皆さんの地域の議員はどうでしょうか?

どのような人格をしているでしょうか?

真っ当な政治家も少なからずいるとは思いますが、残念ながら殆どは私利私欲の政治家が多い現状です。

ということは日本人の殆どがそんなレベルにまで落ちてしまっているということでもあります。

とはいえ不思議なことではありません。

自分なんか投票に行かなくても誰かが平和にしてくれるよねという自分のことしか考えていない人が50%もいるのです。

人というのは自分と似た人間に好意を抱きます。

日本や世界をよくしたいと思う政治家を増やしたいいなら、日頃から世のため人の為に生きないと本心から出ている言葉なのかマヤカシなのか判別することはできないでしょう。

幸せな世界で生きたいのならば幸せな世界になる為の行動をしなければ幸せな世界には変わりません。

正しい理解がなければ幸せにはなれないのです。

努力は報われる

世の中には沢山の努力があります。

努力無くして現世を生きることは不可能といってもいいかもしれません。

勉強の努力、スポーツの努力、仕事の努力、人間関係の努力など様々な努力があるかと思います。

そんな中において、最も重要な努力といえば生きることの努力ではないでしょうか。

世の中、あいつは努力してないとか言ったりする人もいたりします。

しかし、そんなことはありません。

みんなが必死に生きているはずではないでしょうか。

そして、努力というのは必ず報われるカルマの法則の中の一つでもあるといえるのではないでしょうか。

良い努力・悪い努力

世の中には実は良い努力と悪い努力があります。

良い努力とは夢に向かって努力することや、人の為になる努力などといえると思います。

しかし、そんな中でも嫌いな奴がいて嫌がらせして会社や学校を辞めさせる努力も残念ながら世の中にはあるものですね。

これは、まさに悪い努力でしょう。

きっと皆さんは良い努力や悪い努力をしたり、逆にされたりということもあるかもしれません。

とはいえ霊的真理に矛盾はありません。

カルマの法則によって良くも悪くも努力の結果が必ず出てきます。

 

それは、時に、良き努力をして受験に受かったり、スポーツが上達したりというように良い方向で結果が出ることもあります。

しかし、また時として残念ながら悪い努力も一時的に結果が出てしまうこともあります。

 

酷な話をするわけではありませんが、人によっては人を無慈悲に裏切って出世したり、学校や職場に来れないようにしたりというような悪い努力が実を結んで、誰かを辞めさせることに成功するという努力の結果が出るということもあるかと思います。

実は、悪い努力も一時的には願い通り叶っているように見えてくることが現世には意外とあるのではないでしょうか。

しかし、これはスピリチュアリズムから見た視点では成功ではありません。

スピリチュアリズムから見た霊的真理の成功とは魂の成長です。

それは、すなわちスピリチュアリズムという霊的真理を理解した行動に変わっていくことになります。

一見、現世だけの視点で見れば悪い努力が実ったように見えますが、実際は残念ながら真逆です。

実は、霊界からその時々の場面でエゴが勝つのか、成長して世のため人のためとしっかりとした理解が勝るのかを試された結果、エゴが優ってしまい悪い努力を実行動に出てしまったと言えるわけです。

霊的真理を取るか、自分可愛さのエゴを取るか試された結果、エゴを取ってしまったという霊的視点では挫折なのです。

勿論、ここにもカルマの法則は働きます。

悪い努力は一見、努力が実ったように見えるものです。

しかし、長い目で見ると結果がまるで変わってきます。

必ず自分のした行いがカルマの法則によって悪い行いが返ってきます。

それが明日なのか、10年後なのか、20年後なのかは分かりません。

しかし、それ相応の結果は返ってくるのです。

裏切れば裏切られ、騙せば騙されるのです。

そんな結果が分かっているのに、目先の身勝手な利益だけを求めて何が幸せなのでしょうか?

そんな行いでは永遠に幸せになれることはありません。

いや、幸せではないから裏切りや騙しといった身勝手なエゴでなんとか幸せになろうとしているのでしょう。

そういった無智で哀れな子には恨みではなく慈しみで見守ってあげることが大切です。

小さな子供には愛情を与え、自らの正しい行いをみせることで少しずつ理解が深まっていくのです。

挫折

また、時に、良い努力をしても良い結果が出なくて苦い経験をしてしまったなんて思い出がある方もいるのかなと思います。

何故コツコツと良い努力をしたのに結果が出なかったなんてことが起こるのでしょうか?

勿論、スピリチュアリズムに置いて、現世に偶然ということは起こりません。

全てが必然なのです。

ですからスピリチュアリズムの視点で見ると、良き努力しても良き結果が出なかったという事にも必ず意味が隠されていたりします。

いったいそこには何の意味があるのでしょうか。

進むべき道はそこじゃないよというメッセージ

実は、それは魂の進むべき方向がそちらではないよという時に起こります。

私達は、霊界から現世に旅立ってくる前に既に霊界で10年ほど程、先の人生の計画を立てて現世にやってきます。

もし、私たちの目標が魂の成長と関係ない方向へ進もうとしている場合は、どんなに頑張っても実ることは起こりません。

ですから努力したのに自分の納得のいく結果が出なかったという時でも、実は、それは現世の魂の経験はそちらではありませんよという合図であるということもよくあります。

例えば、第一志望の高校に受験で落ちてしまって、第二志望の高校に入学したら、そこで思わぬ人物との出会いが始まるということもありますね。

それが、将来の結婚相手や師範のような関係になったり、逆に、人生での憎き敵のような出会いになるかもしれません。

このような経験は第一志望の高校に受かっていたら絶対に起きなかったことでしょう。

これらのような経験と感動こそが魂の視点から見るとかけがえのない重要なものといえるでしょう。

お金の努力

今の時代はとにかくお金持ちがもてはやされます。 

どうしても人格の基準がお金になってしまってお金持ちが努力してる良い人で、貧乏人やニートと呼ばれる人たちは努力してない愚か者となってしまってはいないでしょうか?

いい学校に行っていい会社に就職したり、起業して金持ちになることが良いことで、そうじゃないことが悪いことなんだという価値観になってはいないでしょうか?

でも、私は常々思います。

お金持ちで、好きな人と結婚して、出世して順風満帆なのに表面では優しくて、心では見下してバカにしている人よりも、皆んなからバカにされて見下されて、大して出世しているわけでもなく、おまけに体も病気がち、それなのに人を見下さず、優しくできる人の方がよっぽど立派だと思うわけです。

 

世の中の人は金持ちを努力したと賞賛します。

確かにお金を稼ぐ努力はしたのかもしれません。

でも、お金の有る無しで努力は測れるものでは決してありません。

もし、お金持ちになっても努力したと賞賛されても、数年後に会社を倒産させて借金まみれになったら、その人はやっぱり努力してなかった人になるのでしょうか?

さらに、もう一度立て直してお金持ちになったら努力した人なのでしょうか?

 

結局、お金や社会的地位といった物質的なことと努力はあまり関係ないのです。

たしかに人一倍お金のための努力してお金持ちになったり社長になったりということもあるというだけの話で、お金持ちじゃないから努力してないとか出世してないから努力してないということでは全く関係ないことなのです。

人格の努力

また、お金持ちの人々の人格はどうでしょうか?

はっきりいって金持ちなのに人格は三流以下なんてザラにいるでしょう。

幽界では想念の世界ですからお金や地位などの物質的なものは何の努力をしなくてもすぐに手に入れることができます。

そうなると現世で素晴らしいと褒め称えられた人々が、実は、あの世ではただの三流以下のただの人となるのです。

何故、そのような人を褒め称えるのでしょうか?

 

逆に、大して出世してるわけでもなく、バカにされて、見下されて、それでも世のため人のためという平和にするための努力はどうなのでしょうか?

スピリチュアルな視点から見れば、私はかけがえのない努力だと思うわけです。

そういう人ほど本来は褒め称えられるべきだと思いますし、霊界で褒め称えられるのはこのような人々でしょう。

プロと前世

少し話が変わりまして、皆さんはスポーツや芸術は好きでしょうか?

現世には、誰にも真似できないような天才的なプロ選手や芸術家がいたりするかと思います。

実は、このプロ選手も前世と関わりがあることもあったりします。

それは実は、そのプロ選手は前世でも似たような職業や努力をしていて、その努力した分が現世での生まれ変わりにおいて活かされてくるということもあったりします。

例えば、プロ野球選手なども現世での努力はもちろんありますが、実は前世でも努力をしていたりすることもよくあります。

これもいい意味でのカルマの法則といえるかと思います。

よく人の2倍練習したら上手くなるといいますが、前世から練習しているプロの選手は、ある意味、人の2倍練習しているともいえるので前世からの努力の賜物ですね。

これも良きカルマが返ってきた結果といえるでしょう。

 

というわけで今回は少し難しかったかもしれないですが、少しでも現世を生きるスピリチュアルの知恵として幸せになりますように願わせて頂きます。

 

 

 

どうして未熟な魂と成熟した魂が混在するの?

現世には生まれ変わりの回数の多い成熟した魂から生まれ変わりの回数が少ない魂まで、様々な考え方を持つ魂がこの地球で共同で生活をしています。

なぜ、このような様々な魂のいる現世で生活をしなければいけないのかというとそこにも理由があります。

 

まず、スピリチュアリズムの視点から見ると、私たちが生まれて現世に旅立ってくる前の霊界や幽界では、様々な考え方を持つ魂が混在して生活するということはありません。

必ず幽界や霊界では魂の成熟度に合わせて階層分けされています。

ですから同じ空間で様々な成熟度の魂が混在して生活をするということが、そもそもできない世界となっています。

そのような同じ成熟度、同じ考え方の魂が共存して生活する幽界や霊界はとても幸せな世界となっています。

皆がみんな自分と同じ考え方なのでとても生活がしやすいのです。

スピリチュアルから見た生まれ変わりの流れ - スピリチュアルのすすめ

そんな中において、わざわざ現世に旅立ってきて様々な考え方の違った魂と共に生活して、すれ違いや争いなどが起こる世界で何故、生活をしなければいけないのでしょうか?

 

それは、成熟した魂はより未熟な魂に教え伝えることで、現世の肉体的な親子と同じように子育てのような経験を通して、より人の思いを理解できるようになります。

それはそのまま経験として魂の成長となることができます。

逆に、未熟の魂は成熟した魂の立派な生き様に感動したり、また、大人の魂から愛情を受けることでどのように生きるべきなのかを自分自身で見て、経験して少しずつ学ぶことができます。

 

このように現世というのは成熟した魂にも未熟な魂にもお互いにメリットがあって現世というのは成立しています。

まさに全ての魂は一つであり、全ての魂の成長が自分の成長という類魂の法則に乗っ取った上手くできている仕組みといえるのでないでしょうか。

 

よくスピリチュアリズムに興味を持ってくると、自分は果たして成長しているんだろうかと考えることもありますね。

でも大丈夫です。

現世に生きるということは全ての経験がそのまま学びとなります。

いいことも悪いこともカルマによって色々な経験をすることで、正しい道を見つけたり、反省したりということがよくあります。

その学びによって少しずつ少しずつ真理に近づいていくことができます。

中には悪いカルマを増やして幽界へ帰っていく魂もありますが、そのような魂も来世の経験を通して少しずつ成長していけるので全然大丈夫です。

来世に苦しむのは目に見えて明らかですが…。

カルマの解消!スピリチュアルな視点で見たカルマとは? - スピリチュアルのすすめ

魂の成熟度は気にしない

今回の記事のような魂の成熟度というような誰かと比べるような記事を書くと、スピリチュアルに興味があるとやってしまいがちな失敗もあります。

それは、魂の成熟度で人を比べることです。

あの人は魂が上であの人の魂は低すぎるなんて勝手に比べたりしてパワハラならぬスピハラみたいなことをして悪くも何ともない人を不快にさせることが結構やってしまいがちです。

しかし、実際の所はこのような下らない比較をしている人自身が「私は霊格が人一倍低いです」と言っているようなもので、とても恥ずかしいことです。

このように人を見下して優越感に浸ってしまう人は傲慢である証拠といえます。

とはいえ現世には未熟な魂も混在しています。

しかし、それは悪いものではなく生まれ変わりの経験が少ない子供なのです。

子供は誰でも失敗します。

皆さんは、近所にいる小学生が足し算を間違えたらバカにして見下すでしょうか?

きっとそんなことはしないでしょう。

魂でも同じです。

あまりにも強欲で自分が正しくて偉いと思っている愚か者は確かにいます。

しかし、それは生まれ変わりの回数が少ない子供の魂というだけの話なのです。

ですからそのような未熟な行いにはバカにしたり見下すのではなく、間違っているんだと叱ることが成熟した大人の魂なのです。

 

それこそが大人の魂なのです。

霊性高める方法 - スピリチュアルのすすめ

 

この世という地獄を生き抜くために

現世は地獄

さて、早速ですが現世とはどんな世の中でしょう。

私たちは公平で、平等で、偏見や差別や苦しみもなく、争いもなく、妬みや嫉みもないとても幸せな世界を望みますが実際は勿論そんなことはないかと思います。

実際の現世はまさに不公平、不平等、偏見差別、苦しみ、争い合い、妬み、恨みといった地獄のような世界です。

まさに現世とは地獄のような世界です。

そんな世の中で一体どのように生きればいいでしょうか?

現世で苦しんで幽界へ帰っていかなければならないのでしょうか?

そんなことはありません。

現世の意味を理解することで私たちは幸せで穏やかな生活を送ることができるようになります。

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現世の生き方

一、そもそも現世は苦しい世界

多くの人はきっと現世でお金持ちになって、素敵な人と結婚して幸せな家庭を築いて、なるべく苦しみのない人生を生きていきたいと思っていると思います。

結論から申し上げますと、スピリチュアリズムの視点から見れば、そもそもそんなものは無理といえます。

私たちは何故現世にやってきたのでしょうか?

それは様々な経験を通して魂を成長させたいと思って現世にやってきています。

魂の成長とはなんでしょうか?

それは、様々な経験を通して自分の未熟さを改善することですね。

改善するということは今までの間違っていた行いに気づき、考え方や行動を改めていくわけです。

その考え方や行動がよい方向に変わっていくことが無智から知に変えていくことであり、それは即ちカルマを乗り越えたといえるわけです。

つまり健康体で産まれようが、裕福な家庭で生まれようが、出世したり有名人になったりというような社会的な成功を収めようが、結婚しようが現世に旅だってきた時点でそこは修行の旅といえるのです。

ですから、どんな世界で暮らそうとも苦しみは伴うものなのです。

しかし、苦しみを苦しいことと捉えてしまうと現世で永遠の苦しむこととなってしまいます。

そうではなく苦しみとは現世でしか体験できない楽しいことなのです。

苦しみとは霊界ではどんなに頑張っても体験することはできません。

まさに私たちは苦しみたくて現世にやってきているのです。

また、苦しみとは真理に生きていないからともいえます。

普遍の真理に逆らって生きようとすると必ず苦しみを伴うこととなります。

それもまた無智であるが故の苦しみなのです。

現世はそもそも楽しいこともありますが、苦しみも沢山ある世界なのです。

ですから現世というのはそもそも苦しいことや悲しいこと、嫌なことといった辛いことも沢山起こる世界であり、その無智を智に変え乗り越えることがカルマの解消に繋がり苦しみが減り、それが生きる目的であり、それが現世の楽しみ方なのだという正しい知識を持ち生きていくことが苦しみから解放される幸せな生き方なのだという智を持つことも一つの真理であり、苦しみからの解放なのです。

2.悪人ほど出世する

今の世は公正公平でもなければ、皆平等でもなければ、差別もあれば偏見も嫉妬も妬みだらけの世の中です。

だからこそ身勝手で自分のことしか考えていない人ほど出世していくことが多いのです。

とはいえそれは最終的に破滅を作ります。

悪は長続きしないのです。

それでは、何故、そのような悪が万永するのでしょうか?

何故、いい人と言われる人が貧しく理不尽に苦しむことがあるのでしょうか?

それは、その時代の環境に合っているかどうかで決まります。

今の現世は不公平,不平等、差別偏見、嫉妬、妬みの世界です。

ですから、常に自分が1番で不公平も不平等も気にしない、気に入らないやつを憎み、強欲の固まりみたいな人ほど現代の時代には出世しやすいのでしょう。

それでは、そのような出世する人が悪でそれ以外の人は善人なのかということになると思いますが、必ずしもそんなことはありません。

そのような強欲な塊みたいな人を素晴らしいと尊敬している人々が沢山いるからこのような不公平な世の中が成立しているのです。

しかし、もし世の中の人が人格が物質的な物で着飾った物は意味のない物であり、人を想う人格が全てなのだという価値観であれば今の大金持ちのような方々は3流以下のレベルにしか見えなくなることでしょう。

逆に、ホームレスのような最底辺といわれているような人の方が欲得もなく人格が優れているということも普通にあります。

しかし、彼らのような人は今は努力のしてこなかった無能のように扱う人も沢山いることでしょう。

それは普段から物質的な価値観でしか判断していないからです。

悪とは?悪は魅力的! - スピリチュアルのすすめ

 

皆さんはどうでしょうか?

人を出世や見栄えなど見えるもので評価していませんか?

心で評価できているでしょうか?

たったそれだけのことで物事の見え方が真逆になってしまうのです。

三、自由に思いやりを持ち生きる

さて、それでは私たちはどのように生きれば幸せになれるのでしょうか?

それは、善人で生きることです。

善人とは思いやりを持ち、いかなる事も理解し、許し、感謝をし、謙虚、妬まず、恨まずといった利他愛を実践している人です。

さて、皆さんは自分の胸に手を当てて自分が善人なのか、はたまた悪人なのかを考えてみましょう。

善人の方々は意外と自分自身で満たされているのではないでしょうか?

どんなに貧しくバカにされていても自分で自分を善人だと認められるはずです。

逆に悪人だと思う人は周りからどんなに絶賛されていようと良い人と呼ばれようと自分の中で罪悪感は拭えきれず悪人という自覚もあると思います。

ですから一時的な空元気はできても、じわじわ来る罪悪感で不安でしょうがないはずです。

そういった人たちは死ぬ間際になって懺悔することになるとは思いますが、今のまま行けば現世を卒業する直前まで苦しみの中で生きることになります。

幽界まで行けば自身が悪人であることが丸裸にされるので、ある意味で自分らしく罪の分だけムチに叩かれて生きられるので楽なのかもしれません。

というように、本当の幸せになるためにはお金や地位や名誉というのは有り余るほど必要な物ではありません。

また、生きる指針はスピリチュアリズムでなければいけません。

それは、人は死んだら無になるというものではなく、良い行いも悪い行いも必ずそのうち返ってくるものであり、現世で出会う人や起こる出来事は必然であり、現世こそ仮に世界であって魂の本来の世界はあの世であるといったスピリチュアルな理解を元に生きることです。

それを踏まえた上で自由に生きればきっと幸せな人生を生き抜けられることでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに大した話ではないですがので飛ばしても大丈夫なのですが、少し話は脱線しますが、最近また、自分は神の中のさらに中心の大神様だみたいなことを言うしょうもない霊能者もどきみたいなのもいますが、そんな超高級霊だったら現世で共に生きることはできません。

それほどの霊格ならば、現世に出てきた瞬間に全ての人が浄化されて現世が無くなってしまうか、超平和な世の中に一瞬でなってしまいます。

ということは、現世がそのような世の中になっていないとということは、その霊能者は嘘をついているということが簡単にわかるわけです。

そして、現世に悪い影響しか及ぼせない程度の霊性だということが簡単にわかってしまいますね。

 

3.本質はあの世にあり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

サイコパスはとっても危険

今回の記事はかなり暗い嫌な受け取り方ができてしまうかもしれません。

誤解がないように先に書かせていただきますが、今回、何を伝えたかったかというと、人は皆、本来は一つの存在であるのだということと、皆んなが一つ一つということは誰かを排除するということは自分を排除しているのと同じで、それは間違っているということと、カルマについて書かせていただきました。

それを踏まえた上で読んで見てください。

 

魂は一つ

サイコパスというと人への共感力が乏しく自己中な考え方で、悪い時は殺人や窃盗といった反社会的な行動をする人や、良い方向にいく時はお金持ちや医者にも多い傾向があるようです。

そんな中において、世の中には身の毛も弥立つような悲惨な事件などが起きたりします。

そういった事件を見聞きすると、世の中にはとても危険な人がいるのだなぁと思うこともあると思います。

しかし、スピリチュアルな視点から見ると魂は全てが一つです。

ということは世の中にサイコパスな人がいるということは、実は私たちもまたサイコパスなのです。

あなたは私。スピリチュアルな視点から見た魂とは - スピリチュアルのすすめ

私はサイコパス

よく事件などのニュースがある時、相手を悪人として叩くことがよくあります。

中には加害者本人やその関係者の関係ない個人情報をバラしたり嫌がらせをする愚かな人もいます。

確かに100歩譲って殺人などの重罪などの被害者側ならやり返してやりたいという感情は分からなくはないです。

しかし、実際には芸能人の不倫やちょっとした失敗といったしょうもないことで皆んなでバカにして、一人の人間を精神的に殺しているということは自覚がないだけで世の中の多くの人が人殺しであるのです。

ましてや冤罪だったらどうでしょう?

そうなると完全な殺人加害者となるはずです。

それなのに何故人を叩けるのでしょうか?

何故それを当然かの如く行うのでしょうか?

この自覚が無さはまさにサイコパス的な思考なのです。

それでも、中々、自分もサイコパスの一部なのだというふうには思えないという方も多いかと思います。

ですが残念ながらそんなことはありません。

例えば、世の中に完全な善人しかいない世の中の中に自分もいたとします。

そんな中である時、嫌なことがあってちょっと無視したとしましょう。

そしたらあら不思議、完全な善人しかいない世の中において自分が世界で一番の凶悪犯になってしまうわけです。

このようにサイコパスというのは絶対的な定義があるのではなくて、全体からしてみた時に自分の欲得のために特によくないことをした人になるのだと思います。

ですから世の中で誰かを無視したり、嫌がらせをしたりというふうに少しでも悪いことをしたことがあるという人は必ずサイコパスの要素を持っているのです。

さらに、何か事件が起きた時にその人を理解しようとしない発想もまたサイコパス的思考なのです。

なぜならサイコパスの要素を持っているということはサイコパスの気持ちがわかるはずだからです。

わからないというのは残念ながら、まだまだ自分はその相手よりもまともで偉い人間だと思っている証拠なのです。

 

これはとても厳しい知識と感じる人も多いかもしれません。

また、信じられないという人もいるかもしれません。

しかし、この知識もとても大切です。

これもまた幸せになるための知識です。

自分にもサイコパスの要素は同じようにあり、その気持ちを理解できないと思い続ければ思い続けるほど、世の中からサイコパスと呼ばれる感性は減っていきませんし、悲惨な事件もなくなっていくこともないでしょう。

真理に生きることが幸せにつながる - スピリチュアルのすすめ

思いやり

さて、ここまで私たちもまたサイコパスの一部なのだということがわかりました。

それでは、このサイコパスを無くしていくにはどうすればいいでしょうか?

それは思いやりです。

思いやりの大切さを理解するためには、まずは思いやりを与えなければ始まりません。

思いやりを頂いて初めて思いやりの大切さや心地よさが理解できるようになります。

そうやって少しずつ社会を変えていく必要があります。

とはいえ、じゃあ思いやりを持ったらすぐに世の中から事件は無くなるかといえばそんなこともないでしょう。

魂の成長には時間がかかります。

しかし、今、少しでも自分自身を改善していけば、それはゆくゆくは悲惨な事件も減る方向へ進んでいくことでしょう。

また、いわゆる凶悪犯罪などの事件は赤の他人の行いだけという考え方も改めなければいけません。

そのような事件は個人のカルマでもありますが、それと同時に社会のカルマでもあります。

ということは私たちがそのような社会を作っているからこそ、世の中にはサイコパスというものが存在しているのです。

悲惨な事件でればあるほど一つのメッセージに置き換えて、自分自身に置き換えて襟を正して行動を変えていかなければならないのです。

また、サイコパスの性質が現世で発芽してしまったのは前世のカルマということもありえます。

カルマの解消!スピリチュアルな視点で見たカルマとは? - スピリチュアルのすすめ

刑務所を矯正施設に変える

今の世の中では、何か犯罪などがあると一生刑務所にいろとか死刑だとか言う人がいます。

しかし、これも間違いです。

そんなものは臭いものに蓋をしているのと同じようなもので、そのような社会を作っているのが私達だからです。

今の社会構造ができている以上、どれだけ死刑にしようと終身刑にしようと加害者は減らないでしょう。

必要なことは善人悪人と区別して悪人を排除することではなく、悪人的な思考を作り出さない社会にすることと、悪人が善人に変われるようなサポートが必要なのです。

そのためには自分自身が思いやりを持ち愛情を与え続け、より良き社会に変えていくことではないでしょうか?

いま、刑務所というと罰を受けるというところとなっていますが、それも矯正施設に変えるべきなのではと思います。

矯正施設で沢山愛情を与え人の心を学び直し、刑罰による恐怖で抑えるのではなく悪い行いをしてしまうと人が悲しんでしまうという感性によって自分で自分を抑えることこそ再犯率も下がるのではないかと私は思います。

100年後の未来を今作っている

先ほど、サイコパスも前世と関係があることがあるということも簡単に説明させていただきました。

つまり、現世でもしサイコパスとして悲惨な事件が起きてしまったのならば、それは前世でのカルマが数100年の時をへて返ってきた可能性もあります。

もちろん現世のカルマがそのまま現世のカルマとして返ってくることもあるでしょう。

逆をいってしまえば実は今すでに100年後、200年後の未来を作っているともいえます。

例えば、少し話が脱線してしまいますが、今、原発の稼働を推進している人がいます。

これまでも安全だといって福島の原発事故や、少し前には原発が稼働していなかったですが、能登半島地震原発のすぐ近くが震源になっていました。

また、ミサイルなんか撃たれた日にはそれで全てが終わりです。

しかし、世の中にはそれを理解した上で金儲けのためだけに推進しているお偉いさんもどきの方々がいます。

そんな彼らは来世どんな地域で生まれてくるでしょうか?

もしかしたら、被害者の気持ちを理解するために将来原発が爆発するような地域を選んで生まれてきたり、爆発して汚染されたところを選んで生まれてくるかもしれません。

ちょっと怖い話しにはなってしまいましたが、実は、すでに100年、200年後といった未来社会を今作っているという自覚が必要なのです。

 

 

叱ると当たるの違い

叱ると当たるの違い

叱ると怒るの違いってなんだろう?

叱る

まずは叱るですが叱るは相手のことを考えた言動です。

子供の場合

例えば、子育てをしていて中々言うことを聞いてくれないという時もよくありますね。

こういった時に、感情任せになって「なんでいつまで経ってもやらないだ!!」と怒鳴ってしまうのは当たるになってしまっています。

そうではなくて子供が中々言うことを聞いてくれない時に、相手の将来のことを考えて「それは〇〇だからダメ!」と厳しく言い聞かせるのは子供からしたら怒られた様に感じるかもしれませんが、子供のために伝えているので叱るとなります。

さらに、子供から「何でダメなの?」と聞かれたら、「〇〇で〇〇だからダメなんだよ」と、子供にわかるように伝えてあげることはとても大切です。

というのもどんなに厳しく相手のために叱っているつもりでも、相手がなぜ叱られているのか分からなければ親の前では止めるかもしれないですが、結局は親が見ていないところで同じことをしてしまいます。

ですから、叱る時は相手を想った言動でなければならないということと、相手にわかるように伝えてあげるというこの二つを意識することが大切となります。

職場の場合

また職場などでも同じことがいえます。

しかし、職場で叱るというのは小さな子供ではなく大人が相手になります。

なので、職場などで相手を叱るという時も相手のことを考えて叱るということがとても大切ですが、叱る内容は人格の成長もありますが、それと同時に社会常識や、その相手が将来転職したり上司になった時にひとり立ちできるように教育することが大切です。

大人といえども得意不得意はありますから何度も同じ失敗を繰り返してしまうことも普通にあると思いますが、どうして私に迷惑をかけるんだ!という思いで怒るのではなく、優しい声かけの時も厳しい声かけの時もすべて相手のためであることを心がけてみましょう。

勿論、それですぐに状況が変わらないなんてこともあるかもしれません。

しかし、霊的視点から見ればそれも悪いことではありません。

人生において大切なことは様々な経験を通して様々なことに対して理解を深め、霊的真理をより深く理解することです。

それはすなわち正しい知識を理解する魂の成長ともいえます。

当たる

続いては当たるについて解説いきます。

当たるとは自分の気持ちを理解して欲しい時やイライラを人にぶつける時に怒ったりという時になります。

子育ての場合

小さな子どもに対して言っても言っても言うことを聞かないや、職場や人間関係で理不尽な目にあった時、自分のわがままが押し倒せない時などなどつい怒鳴ってしまう時などあると思います。

このように、自分の気持ちを理解して欲しい時に怒ったりすることが当たるになります。

この叱ると当たるの対応の違いはとても重要です。

小さな子供の時は怒られることがあると思いますが、それが叱られているのか当たられているのかまだ分からない年齢の子もいるかもしれませんが、それなりの年齢になってくると叱られているのか当たられているのかの判別がしっかりとできてきますね。

そうすると叱るなら親に感謝できるようになると思いますが、当たるとなってしまうと年齢を追うごとに家族の亀裂が入ってしまいまい苦しむことになってしまいます。

それがカルマでもあり、無知を智に変えるそのまま成長するための学びでもあり、そこを学びたくて現世に生まれてきたという目的の一つにもなります。

とはいえ、我慢していても時に感情が爆発してしまって当たってしまう時もあると思います。

しかし、それも必ずしも悪いことではありません。

当たっていいと言っている訳ではありませんが、それが人間らしさでもあります。

その人間らしさを見て育つことでも人の感性を養えることでしょう。

最も大切なことは何をしたかという結果ではなく、なぜそれをしたのかという動機なのです。

失敗したり苦しんだりしても、動機が正しければ最終的には良い方向へと進むことでしょう。

職場の場合

また、職場や人間関係などで理不尽なことがあった時も当たる気持ちはわかりますが、その心は「どうして私の言っていることが分からないのか!気持ちを理解してくれないのか!」という、自分の為の怒りになります。

たしかに相手が大人であっても、明らかに間違った行動をしていたり、なんなら悪意を持って嫌がらせをしてくる場合もあると思います。

むしろ肉体は大人だからこそ、我が子や近所の子を育てる子育てとはまた違った別の悪意や憎しみなどを抱いてしまうこともあると思います。

しかし、それでも感情的になって当たるというのは間違いです。

現世の視点だけで見れば、肉体は大人であればそれなりに考えられる様に思いがちです。

しかし、肉体が大人であれば確かにある程度の常識的なことは考えられると思いますが、魂の視点から見て大人な対応ができるかどうかというのは別物です。

スピリチュアルな視点から見てみると、肉体は大人であっても魂はまだまだ子供という場合も普通にあります。

そんな時でも、自分が感情的になって怒ってしまうということは、結局は同レベルということになってしまいます。

相手が無智であるが故に間違っているなら、例え大人であっても何が正しいのかということをわかるように伝えるということが正しいあり方ですし、もし、悪意を持って嫌がらせをされたとしても感情に任せて怒ってはいけません。

あくまで相手に伝わるように伝えたり対処しなければなりません。

また、その伝え方は時に厳しい言葉で伝えなければいけないときもあります。

しかし、それは、相手の気持ちを理解して、相手がより良い方向に変われるよう伝えるわけですから、それは怒るのではなくて叱るということになります。

正しい知識

ここまで叱ると当たるについてお話しをしてきました。

これも一つの無智を智に変える作業であり、それは霊的真理の学びでもあり、魂の成長でもあり、正しい知恵の実践がカルマの解消にも繋がり、苦しみから解き放たれることになります。

 

相手のことを想って叱るという行動は、子育てでも職場などの人間関係でも、最終的にはいい方向で必ず終わることでしょう。

逆に、自分の想いをぶつけるばっかりで当たっていれば必ず最終的には破滅して苦しみます。

 

人生を幸せに生き抜くためには正しい知識が必要不可欠なのです。

 

 

 

 

 

スピリチュアルとお金の価値

今回はスピリチュアルな視点からお金について解説していこうと思います。

お金にはどんな意味があるの?

私達は、現世では起きている時間の大半を仕事をして生きています。

なんでこんなに働かなければいけないんだと思いますが実はそこにも意味があったりします。

それはどのような意味かというと、私達の本来の目的である様々な経験を通して魂を成長させるためです。

 

私たちは魂を成長させたいと思って生まれてきています。

そして、色々経験を通して自分の未熟なカルマに気づいて、日々、成長しています。

しかし、成長するためには自分の未熟な部分を炙り出してくれる仲間が必要です。

その仲間こそ、ガミガミうるさい上司だったり、同僚だったり、夫婦や子供です。

人は、生きていくためには最低限のお金は必要なので、必ず人とのかかわりがあり、時に苦しい時や我慢しなければいけない時もあります。

しかし、その苦しさや我慢という経験を得ることで視野が広がり、少しずつ親へのありがたみだっり他者への思いやりを持てるようになります。

そして、もっともっと沢山の喜怒哀楽の経験を得ることで、さらなる広い視野をより広く持てるようになります。

そのような多くの経験をすることで、最終的にはすべての生き物に対して家族や自分の大切な人と同じように大切にしたいと思えるようになっていきます。

そして、これを突き詰めていくと最終的に私たちは皆んな一つで一人一人一生懸命生きているのだから、すべての人に平等に優しく与えるべきなのだという類魂に辿り着きます。

このように魂がより成長できるように、あえて人と関わらざるおえないお金という物が現世には存在しています。

お金の価値ってどれくらい?

世の中には、お金があれば幸せになれるという意見があります。

しかし、お金にはそのような価値はありません。

例えば、超大金持ちだけど常に暴言や無視や差別発言をしている人と、貧乏だけど思いやりがあり、常に人との調和を考えて生きている人と皆さんはどちらと結婚したいと思いますか?

私なら迷わず貧乏を選びます。

超金持ちと一緒にいても暴言を毎日吐かれては幸せだとは私は感じません。

つまり、お金よりもずっと人格の方が価値があり重要なのです。

お金に翻弄されない人生

ここまで、お金とは仕事をすることで魂を成長させるための道具であるということと、お金の価値よりも人格の方が大切だよということをお伝えさせていただきました。

もしかしたら、今回の記事を見てもお金持ちになりたいとか結婚したいというふうに考えている人もいると思います。

しかし、それも悪いことではありません。

実際にそのような方と結婚して、そこから多くの経験を経て、お金では幸せにはなれないということを学ぶことも魂の視点から見れば大切な経験でもあるのです。

また、貧乏というものに劣等感を感じてしまうのも、また、お金に翻弄されてしまっているともいえます。

貧乏は悪いことではありません。

貧乏も凄く大変なことではありますが、その大変な時が多いからこそ沢山の喜怒哀楽を経験することができ魂の成長にも繋がっていくので、それはそれで幸せなことなのです。

とはいえ貧乏であれというわけでもありません。

例えば、子育てをしていくならばそれ相応の収入が必要になります。

また、多くの人を助けたいなんていう時も大金が必要となると思います。

大切なことは動機です。

生活する上で蓄えも必要です。

そもそもお金の有無で人の価値は決まりません。

最も価値があるのはどれだけ人のために最善を尽くしたかなのです。