叱ると当たるの違い
叱ると怒るの違いってなんだろう?
叱る
まずは叱るですが叱るは相手のことを考えた言動です。
子供の場合
例えば、子育てをしていて中々言うことを聞いてくれないという時もよくありますね。
こういった時に、感情任せになって「なんでいつまで経ってもやらないだ!!」と怒鳴ってしまうのは当たるになってしまっています。
そうではなくて子供が中々言うことを聞いてくれない時に、相手の将来のことを考えて「それは〇〇だからダメ!」と厳しく言い聞かせるのは子供からしたら怒られた様に感じるかもしれませんが、子供のために伝えているので叱るとなります。
さらに、子供から「何でダメなの?」と聞かれたら、「〇〇で〇〇だからダメなんだよ」と、子供にわかるように伝えてあげることはとても大切です。
というのもどんなに厳しく相手のために叱っているつもりでも、相手がなぜ叱られているのか分からなければ親の前では止めるかもしれないですが、結局は親が見ていないところで同じことをしてしまいます。
ですから、叱る時は相手を想った言動でなければならないということと、相手にわかるように伝えてあげるというこの二つを意識することが大切となります。
職場の場合
また職場などでも同じことがいえます。
しかし、職場で叱るというのは小さな子供ではなく大人が相手になります。
なので、職場などで相手を叱るという時も相手のことを考えて叱るということがとても大切ですが、叱る内容は人格の成長もありますが、それと同時に社会常識や、その相手が将来転職したり上司になった時にひとり立ちできるように教育することが大切です。
大人といえども得意不得意はありますから何度も同じ失敗を繰り返してしまうことも普通にあると思いますが、どうして私に迷惑をかけるんだ!という思いで怒るのではなく、優しい声かけの時も厳しい声かけの時もすべて相手のためであることを心がけてみましょう。
勿論、それですぐに状況が変わらないなんてこともあるかもしれません。
しかし、霊的視点から見ればそれも悪いことではありません。
人生において大切なことは様々な経験を通して様々なことに対して理解を深め、霊的真理をより深く理解することです。
それはすなわち正しい知識を理解する魂の成長ともいえます。
当たる
続いては当たるについて解説いきます。
当たるとは自分の気持ちを理解して欲しい時やイライラを人にぶつける時に怒ったりという時になります。
子育ての場合
小さな子どもに対して言っても言っても言うことを聞かないや、職場や人間関係で理不尽な目にあった時、自分のわがままが押し倒せない時などなどつい怒鳴ってしまう時などあると思います。
このように、自分の気持ちを理解して欲しい時に怒ったりすることが当たるになります。
この叱ると当たるの対応の違いはとても重要です。
小さな子供の時は怒られることがあると思いますが、それが叱られているのか当たられているのかまだ分からない年齢の子もいるかもしれませんが、それなりの年齢になってくると叱られているのか当たられているのかの判別がしっかりとできてきますね。
そうすると叱るなら親に感謝できるようになると思いますが、当たるとなってしまうと年齢を追うごとに家族の亀裂が入ってしまいまい苦しむことになってしまいます。
それがカルマでもあり、無知を智に変えるそのまま成長するための学びでもあり、そこを学びたくて現世に生まれてきたという目的の一つにもなります。
とはいえ、我慢していても時に感情が爆発してしまって当たってしまう時もあると思います。
しかし、それも必ずしも悪いことではありません。
当たっていいと言っている訳ではありませんが、それが人間らしさでもあります。
その人間らしさを見て育つことでも人の感性を養えることでしょう。
最も大切なことは何をしたかという結果ではなく、なぜそれをしたのかという動機なのです。
失敗したり苦しんだりしても、動機が正しければ最終的には良い方向へと進むことでしょう。
職場の場合
また、職場や人間関係などで理不尽なことがあった時も当たる気持ちはわかりますが、その心は「どうして私の言っていることが分からないのか!気持ちを理解してくれないのか!」という、自分の為の怒りになります。
たしかに相手が大人であっても、明らかに間違った行動をしていたり、なんなら悪意を持って嫌がらせをしてくる場合もあると思います。
むしろ肉体は大人だからこそ、我が子や近所の子を育てる子育てとはまた違った別の悪意や憎しみなどを抱いてしまうこともあると思います。
しかし、それでも感情的になって当たるというのは間違いです。
現世の視点だけで見れば、肉体は大人であればそれなりに考えられる様に思いがちです。
しかし、肉体が大人であれば確かにある程度の常識的なことは考えられると思いますが、魂の視点から見て大人な対応ができるかどうかというのは別物です。
スピリチュアルな視点から見てみると、肉体は大人であっても魂はまだまだ子供という場合も普通にあります。
そんな時でも、自分が感情的になって怒ってしまうということは、結局は同レベルということになってしまいます。
相手が無智であるが故に間違っているなら、例え大人であっても何が正しいのかということをわかるように伝えるということが正しいあり方ですし、もし、悪意を持って嫌がらせをされたとしても感情に任せて怒ってはいけません。
あくまで相手に伝わるように伝えたり対処しなければなりません。
また、その伝え方は時に厳しい言葉で伝えなければいけないときもあります。
しかし、それは、相手の気持ちを理解して、相手がより良い方向に変われるよう伝えるわけですから、それは怒るのではなくて叱るということになります。
正しい知識
ここまで叱ると当たるについてお話しをしてきました。
これも一つの無智を智に変える作業であり、それは霊的真理の学びでもあり、魂の成長でもあり、正しい知恵の実践がカルマの解消にも繋がり、苦しみから解き放たれることになります。
相手のことを想って叱るという行動は、子育てでも職場などの人間関係でも、最終的にはいい方向で必ず終わることでしょう。
逆に、自分の想いをぶつけるばっかりで当たっていれば必ず最終的には破滅して苦しみます。
人生を幸せに生き抜くためには正しい知識が必要不可欠なのです。