スピリチュアルのすすめ

スピリチュアリズムについて記事を書いてます。

努力は報われる

世の中には沢山の努力があります。

努力無くして現世を生きることは不可能といってもいいかもしれません。

勉強の努力、スポーツの努力、仕事の努力、人間関係の努力など様々な努力があるかと思います。

そんな中において、最も重要な努力といえば生きることの努力ではないでしょうか。

世の中、あいつは努力してないとか言ったりする人もいたりします。

しかし、そんなことはありません。

みんなが必死に生きているはずではないでしょうか。

そして、努力というのは必ず報われるカルマの法則の中の一つでもあるといえるのではないでしょうか。

良い努力・悪い努力

世の中には実は良い努力と悪い努力があります。

良い努力とは夢に向かって努力することや、人の為になる努力などといえると思います。

しかし、そんな中でも嫌いな奴がいて嫌がらせして会社や学校を辞めさせる努力も残念ながら世の中にはあるものですね。

これは、まさに悪い努力でしょう。

きっと皆さんは良い努力や悪い努力をしたり、逆にされたりということもあるかもしれません。

とはいえ霊的真理に矛盾はありません。

カルマの法則によって良くも悪くも努力の結果が必ず出てきます。

 

それは、時に、良き努力をして受験に受かったり、スポーツが上達したりというように良い方向で結果が出ることもあります。

しかし、また時として残念ながら悪い努力も一時的に結果が出てしまうこともあります。

 

酷な話をするわけではありませんが、人によっては人を無慈悲に裏切って出世したり、学校や職場に来れないようにしたりというような悪い努力が実を結んで、誰かを辞めさせることに成功するという努力の結果が出るということもあるかと思います。

実は、悪い努力も一時的には願い通り叶っているように見えてくることが現世には意外とあるのではないでしょうか。

しかし、これはスピリチュアリズムから見た視点では成功ではありません。

スピリチュアリズムから見た霊的真理の成功とは魂の成長です。

それは、すなわちスピリチュアリズムという霊的真理を理解した行動に変わっていくことになります。

一見、現世だけの視点で見れば悪い努力が実ったように見えますが、実際は残念ながら真逆です。

実は、霊界からその時々の場面でエゴが勝つのか、成長して世のため人のためとしっかりとした理解が勝るのかを試された結果、エゴが優ってしまい悪い努力を実行動に出てしまったと言えるわけです。

霊的真理を取るか、自分可愛さのエゴを取るか試された結果、エゴを取ってしまったという霊的視点では挫折なのです。

勿論、ここにもカルマの法則は働きます。

悪い努力は一見、努力が実ったように見えるものです。

しかし、長い目で見ると結果がまるで変わってきます。

必ず自分のした行いがカルマの法則によって悪い行いが返ってきます。

それが明日なのか、10年後なのか、20年後なのかは分かりません。

しかし、それ相応の結果は返ってくるのです。

裏切れば裏切られ、騙せば騙されるのです。

そんな結果が分かっているのに、目先の身勝手な利益だけを求めて何が幸せなのでしょうか?

そんな行いでは永遠に幸せになれることはありません。

いや、幸せではないから裏切りや騙しといった身勝手なエゴでなんとか幸せになろうとしているのでしょう。

そういった無智で哀れな子には恨みではなく慈しみで見守ってあげることが大切です。

小さな子供には愛情を与え、自らの正しい行いをみせることで少しずつ理解が深まっていくのです。

挫折

また、時に、良い努力をしても良い結果が出なくて苦い経験をしてしまったなんて思い出がある方もいるのかなと思います。

何故コツコツと良い努力をしたのに結果が出なかったなんてことが起こるのでしょうか?

勿論、スピリチュアリズムに置いて、現世に偶然ということは起こりません。

全てが必然なのです。

ですからスピリチュアリズムの視点で見ると、良き努力しても良き結果が出なかったという事にも必ず意味が隠されていたりします。

いったいそこには何の意味があるのでしょうか。

進むべき道はそこじゃないよというメッセージ

実は、それは魂の進むべき方向がそちらではないよという時に起こります。

私達は、霊界から現世に旅立ってくる前に既に霊界で10年ほど程、先の人生の計画を立てて現世にやってきます。

もし、私たちの目標が魂の成長と関係ない方向へ進もうとしている場合は、どんなに頑張っても実ることは起こりません。

ですから努力したのに自分の納得のいく結果が出なかったという時でも、実は、それは現世の魂の経験はそちらではありませんよという合図であるということもよくあります。

例えば、第一志望の高校に受験で落ちてしまって、第二志望の高校に入学したら、そこで思わぬ人物との出会いが始まるということもありますね。

それが、将来の結婚相手や師範のような関係になったり、逆に、人生での憎き敵のような出会いになるかもしれません。

このような経験は第一志望の高校に受かっていたら絶対に起きなかったことでしょう。

これらのような経験と感動こそが魂の視点から見るとかけがえのない重要なものといえるでしょう。

お金の努力

今の時代はとにかくお金持ちがもてはやされます。 

どうしても人格の基準がお金になってしまってお金持ちが努力してる良い人で、貧乏人やニートと呼ばれる人たちは努力してない愚か者となってしまってはいないでしょうか?

いい学校に行っていい会社に就職したり、起業して金持ちになることが良いことで、そうじゃないことが悪いことなんだという価値観になってはいないでしょうか?

でも、私は常々思います。

お金持ちで、好きな人と結婚して、出世して順風満帆なのに表面では優しくて、心では見下してバカにしている人よりも、皆んなからバカにされて見下されて、大して出世しているわけでもなく、おまけに体も病気がち、それなのに人を見下さず、優しくできる人の方がよっぽど立派だと思うわけです。

 

世の中の人は金持ちを努力したと賞賛します。

確かにお金を稼ぐ努力はしたのかもしれません。

でも、お金の有る無しで努力は測れるものでは決してありません。

もし、お金持ちになっても努力したと賞賛されても、数年後に会社を倒産させて借金まみれになったら、その人はやっぱり努力してなかった人になるのでしょうか?

さらに、もう一度立て直してお金持ちになったら努力した人なのでしょうか?

 

結局、お金や社会的地位といった物質的なことと努力はあまり関係ないのです。

たしかに人一倍お金のための努力してお金持ちになったり社長になったりということもあるというだけの話で、お金持ちじゃないから努力してないとか出世してないから努力してないということでは全く関係ないことなのです。

人格の努力

また、お金持ちの人々の人格はどうでしょうか?

はっきりいって金持ちなのに人格は三流以下なんてザラにいるでしょう。

幽界では想念の世界ですからお金や地位などの物質的なものは何の努力をしなくてもすぐに手に入れることができます。

そうなると現世で素晴らしいと褒め称えられた人々が、実は、あの世ではただの三流以下のただの人となるのです。

何故、そのような人を褒め称えるのでしょうか?

 

逆に、大して出世してるわけでもなく、バカにされて、見下されて、それでも世のため人のためという平和にするための努力はどうなのでしょうか?

スピリチュアルな視点から見れば、私はかけがえのない努力だと思うわけです。

そういう人ほど本来は褒め称えられるべきだと思いますし、霊界で褒め称えられるのはこのような人々でしょう。

プロと前世

少し話が変わりまして、皆さんはスポーツや芸術は好きでしょうか?

現世には、誰にも真似できないような天才的なプロ選手や芸術家がいたりするかと思います。

実は、このプロ選手も前世と関わりがあることもあったりします。

それは実は、そのプロ選手は前世でも似たような職業や努力をしていて、その努力した分が現世での生まれ変わりにおいて活かされてくるということもあったりします。

例えば、プロ野球選手なども現世での努力はもちろんありますが、実は前世でも努力をしていたりすることもよくあります。

これもいい意味でのカルマの法則といえるかと思います。

よく人の2倍練習したら上手くなるといいますが、前世から練習しているプロの選手は、ある意味、人の2倍練習しているともいえるので前世からの努力の賜物ですね。

これも良きカルマが返ってきた結果といえるでしょう。

 

というわけで今回は少し難しかったかもしれないですが、少しでも現世を生きるスピリチュアルの知恵として幸せになりますように願わせて頂きます。