生まれてきた理由
スピリチュアルの視点で見てみると、私たちは、より魂を成長させたいと思って霊界から現世にやってきました
成長するということは、より真理を理解するということでもあります。
しかし、真理を理解するにあたってどうしても苦しみが必要になります。
というよりかは、真理に生きないから苦しんでしまいます。
真理に生きない苦しみ
例えば、床に画鋲が落ちていたとします。
その上を歩いたらどうなるでしょうか?
当然、足に刺さって苦しみます。
しかし、靴を履いていれば靴が守ってくれるので苦しむ必要はなくなります。
実は、真理というのはそんなもので、息が止まれば死ぬ、暑くなると汗をかく、良いことをすれば良いことが返ってきて悪いことをすれば悪いことが返ってくる等、実は意外とシンプルだったりします。
真理を歪めてはならない
真理というのは常に変わることがありません。
例えば、以前、調べ物をしていたら平安時代に偉い人が城から人に目掛けて弓矢を打つ練習をしていたそうです。
ところが、それを見た近くの人が、人には可哀想だから打ってはいけないと言って止めたという話しがありました。
そこにあるのは思いやりであり、思いやりを持たなければいけないというのは永遠に続く真理になのです。
苦しみとは楽しみ
人はどうしても苦しみを嫌がり、楽で苦労をしない方に進みたがります。
もちろん、時に休むことも必要ですし、遊びに行って楽しむということも必要です。
しかし、霊的真理から見てみると、実は、苦しみも幸せなのです。
なぜなら、苦しみがあるから人の気持ちが理解できるようになり、それはすなわち幸せになるための霊的真理を理解したともいえるからです。
また、霊界では霊的真理を基準にしてみんなが生活しているため、無視されたり、意地悪されたりといった苦しみを味わうことができないのです。
というのも、霊界では、みんなが自分自身ということも理解しているので、身勝手に生きても意味がなく、思いやりを持ってみんなで生きていくことが幸せだということを頭で理解できているか、です。
しかし、それは本当の理解ではなく、みんなが優しいから優しくできるということで、相手から意地悪された時にそれでも他者を理解して思いやるという霊的真理を本当の意味で理解しているとはならないのです。
それができるようになるためには、現世での実践が必要になります。
そして、現世でより多くの喜怒哀楽を経験をして学び成長していくのです未熟です。
が、その苦しみは真理を学ぶための栄養であり、そのおかげで日々成長させてもらえているということが理解し、魂のレベルで成長させてもらえていることが理解できれば、むしろ、現世でしか学べない苦しみにもありがたく感謝できるようにります。
幸せとは恐れないこと
ここまで、苦しみというのは幸せになるための栄養であり、悪いことではないんだよということをお伝えさせていただきました。
それがわかれば、あとはそれを日常に取り入れていくとあっという間に人生は好転します。
「あ〜、今日はあんな嫌なことがあった。死にたい」なんて思うときは、ただ苦しんで不幸に生きるのではなく、「この嫌なことはどんなメッセージがあるのかな?」、「自分にどっか未熟な部分はなかったかな?」と考えて、苦しい出来事もなぞなぞの問題を解くように、楽しく人生を生き抜いていってみてはいかがでしょうか。