スピリチュアルのすすめ

スピリチュアリズムについて記事を書いてます。

利他愛とは?利他と利己の違い

利他愛とは?

利他愛とは、自分を中心に考えるのではなく、見返りを求めず、人の幸せを願った行いをいいます。

そして、利他的の逆は利己的となります。

利己的とは、自分のことだけを考えて行動するという意味になります。

この利己的な考え方とは、スピリチュアルと真逆の考え方でありよくありません。

なぜ利己的な考えはいけないのか?

利己的に生きるとは、すなわち自分中心に生きるということになってしまいます。

「自分さえ儲かれば他の人がそのあとどうなろうが関係ない。」

「周りの人間が不幸になっても儲かればそれでいい」

このような考え方では必ず最後にはその人自身に不幸が返ってくることになります。

例えば、これまでの歴史を見ていくと、自分さえよければそれでいいという国家で長持ちしたという歴史はありません。

一見、利己的で傲慢な人が社会的な成功を得ていることはよくありますが、最終的には破滅が待っています。

また、一見、社会的に成功しているようでも、実際の心の中を見ると幸せでないこともよくあります。

利己的な人は人の心を理解しようとしないが故にどんなにお金があってついて来てくれる人がいたとしても、それはお金があるからというだけで、実は相手も自分の利益になるからついて来ているという利己的であったりする場合も普通にあるわけです。

それは、金の切れ目が縁の切れ目というように、とても寂しいものではないでしょうか。

利他愛が大切

利他愛に生きると必ず幸せになれます。

利他愛という言葉をイメージできない場合は思いやりという言葉に変えると分かりやすいかもしれません。

思いやりを持てば必ず良好な人間関係ができます。

良好な人間関係が得られれば、お金の繋がりとは別に、楽しく話しができたり、沢山経験ができたりというふうに楽しいことも沢山あります。

逆に、利己的に生きていても友人というのはできます。

しかし、そのような繋がりは結局は争いに変わり、分裂して理解できないというふうに終わってしまいます。

誰だって争いなんてしたくないと思います。

しかし、その争いは実は利己的な自分自身によって引き起こしているともいえてしまうのです。

このように、一見、利己的生きた方が幸せそうに見えるかもしれないですが、それでは争い続きで幸せにはなれないのです。

例外の場合

たまに、自分ではわがまま言っているつもりはないけど自己中だというふうに言われてしまう人もいます。

それは自己中ではなく、現世で人の気持ちを人一倍考えてみましょうという課題であったりすることもあるので、そのような人は思いやりがないということではないので心配しなくても大丈夫です。

利他愛とは優しさであり厳しさ

利他愛とは、相手を思う心になります。

なので、時には優しく、また時に相手のためになっていないと思うのであるならば、厳しくすることも利他愛といえます

とはいえ、この厳しさも怒鳴り散らすのではなく、あくまで相手のための行動でなければいけません。

ですから、相手に伝える時は「〇〇は××だからこうだよね?あなたのやってることはおかしくないですか?」というふうに相手が自分で考えて答えを得ることが大切だというふうに私は思います。

もちろん、悪の心そのものは不幸を呼びますから相手のために許してはいけません。

善悪の判断

はて、ところで善悪とはなんでしょうか?

当然ながら、善悪の明確な判断ができなければ相手に対して正しく間違いを指摘することはできません。

下手をしたら、自分の中の想いを押し付けているだけということにもなりかねません。

善とは思いやり、理解する心、許す心など人のことを想う行動・言葉・想いになります。

逆に悪は、自分さえよければいいという身勝手な心、人への無理解、恨み辛みといった自分のことだけを想う行動・言葉・思いになります。

簡単!スピリチュアルな視点で見る善と悪とは - スピリチュアルのすすめ

こちらの記事で善悪について書かせていただきましたが、相手のために伝えるためには、自分自身で善悪の判断がつけて正しく伝えることがとても重要です。

そして、正しく伝えるためには知識だけではなく、自分自身が常日頃から善の行動をとらなければいけません。

そのような行動を伴わない言葉は、それはただの空想の机上の空論で意味のないただの言葉なのです。

利他愛とは最大の利己愛

記事の最初に見返りを求めないことが利他愛だというふうにお伝えさせていただきました。

しかし、もう少し深く説明をすると利他愛は利己愛でもあります。

例えば、利他愛として見返りは求めず、困っている人を助けたとします。

そして、その人が助かって、その助けられた思いから、今度は他の困っている人の手助けをしました。

そして巡り巡って自分が困っている時に助けてもらえたという「情けは人の為ならず」という言葉があるように、利他愛というのは相手のための幸せであって自分のための幸せでもあるのです。

今回の例は1人が1人を助けてというふうに説明させてもらいましたが、実際は1人が2人でも10人でも20人でもいいわけです。

みんながそれをやれば、世の中は一気によくなります。

そうならないのは、私たちにまだまだ自分さえよければいいという傲慢な考え方があるからなんだと思います。

しかし、そこから困った状態になった時に、そこから自分の傲慢さに気づくのもまたありがたい学びでもあります。

結論

幸せに生きたいなら利他愛に生きることが大切です。

利他愛に生きても見返りが返ってこないからやりたくないというのも傲慢です。

もし、自分が好き勝手、傍若無人に生きるなら周りの人に傍若無人の振る舞われても自分と同じ行いをしている訳ですから褒め称えるべきです。

しかし、それでは幸せにはなれません。

結局、人が傲慢で生きれば生きるほど苦しい世の中で生きることになってしまうのです。

自分の幸せは自分で掴み取り困っている人がいたら助かる。

でも、どうしても自分が困ったら他の人に助けを求めるというようにしてみましょう。