スピリチュアルのすすめ

スピリチュアリズムについて記事を書いてます。

結婚相手の見つけ方と本当の強さ

何故かいいなと思った男性が暴力的であったり、あまりにも自己中で中々いい人と巡り会えない…なんてことはありますか?

今回は、そんな人と付き合わないための方法と本当の強さについてに記事にしました。

2つの強さ

まず、現世には大きく分けて【物質的な強さと精神的な強さ】と【本物の強さと未熟な強さ】があるように思います。

この強さをちゃんと見定めないと間違った強さに

に惑わされてしまってよくない恋人を選んでしまうことがあります。

特に、何故か付き合う男性のみんなが暴力的だったり自分勝手すぎる男性を選んでしまう人なんていう人は要注意といえます。

実はそこには「今の苦しい状況を助けてほしい」「少しでも楽したい」「私の全てを受け入れてほしい」といったような縋る思いや依存心が強く出てしまっていることがとても多いように思います。

そして、縋る思いや依存心のような自分自身の低い波長によって、実は低い波長の男性が魅力的に見えてしまっているのです。

しかし、残念ながらそのようなお互いの依存心で繋がった相手とは、お互いが助けてほしい、理解してほしいとなってしまうので、恋愛や結婚後もなかなか上手くいかなくなってしまいます。

それでは、そうならないように今回の記事で本当の強さを判別できるようにしていきましょう。

本当の強さ

強さには物質的な強さと精神的な強さがあり、さらに、本当の強さ(高級霊的な強さ)と未熟な強さ(動物的な強さ)に分けることができるように思います。

物質的な強さ

まずは物質的な強さから見ていきましょう。

パッと思いつくものとすると筋肉の強さ、スポーツの強さ、お金や不動産といった財力の強さ、さらには酒、ギャンブル、女好きといった未熟な男らしさも物質的な強さといえるかも知れません。

精神的な強さ

続いて、精神的な強さを見てみましょう。

こちらは、気の強さ、優しさ、我慢強さ、鈍感であるが故に何も感じないから強く見える強さもどき等もあります。

大切なのは波長

こうやってみると強さには物質的な強さと精神的な強さがあるのだと分かります。

そして、ここから更に本物の強さと未熟な強さに分けていきましょう。

そうすると、

本物の強さ・・優しさ、何かを守るための我慢強さ。

未熟な強さ・・財力の強さ、酒・ギャンブル・女遊びといった男らしさもどき、鈍感であるが故に気にしない強さもどき

というようになりますね。

 

こうやって考えると簡単で、幸せになる恋人選びはまさに本物の強さをもった相手を探すことが大切です。

そして、私が気になっている異性は本物の強さなのか、それとも未熟な強さなのかを簡単に自分自身で見定めていきましょう。

縋らない、依存しない

ここまで、縋る思い依存心があると上手くいかないということをお伝えしてきました。

つまり、上手くいかせるためには逆の心がけをすれば必ず道は開けます。

それは、共に乗り越えていくという正しい理解と、もし、旦那がダメになっても自分が支えていくんだくらいのしっかりとした自律心を持ち、いざとなれば自分が稼いでなんとかするくらい自立心を強く持つこと!

そうすれば自ずと動物的な未熟な強さを求める必要がなくなります。

すると、本当の意味で優しい人を見定めることができるでしょう。

結婚の幸せ

また、現世の考え方でいうとお金持ちと結婚して楽したいとか、容姿のいい人と結婚したいという思いもあると思います。

しかし、全ては経験と感動ですから、そのような相手と結婚したいという思いは否定はしません。

ですが、もっとも重要なことは沢山の人生における経験と感動です。

もしかしたら、結婚後、なかなか子供が授からなかったり、お金がなくて今日生きるのがいっぱいいっぱいになってしまう時や、離婚して寝る時間すらまともに取れないなんてこともあるかも知れません。

しかし、スピリチュアルの視点から見れば、むしろ、そちらの方が様々な経験を得られるので幸せでもあります。

そして、このような正しいスピリチュアリズムの知識さえあれば苦しみから逃れるために縋る想いや依存心を持つ必要がなくなります。

そうすることで恋人を涙目で見なくなり、必然的に思いやりのあるよいパートナーを見つけることができるわけです。

ちなみに、結婚の際に「妻を幸せにすることを誓いますか」「誓います」なんて合言葉がありますがあれは間違いです。

スピリチュアルな視点で見ると、結婚相手は2人でこれからの学びを乗り越えていこうという誓いです。

決して結婚だけで幸せになることはありえません。

共に乗り越えて沢山の経験と感動を体験し成長することそのものがスピリチュアルな視点から見た幸せなのです。

最善を尽くせばどのような結果になろうともそれで十分なのです。