スピリチュアルのすすめ

スピリチュアリズムについて記事を書いてます

悪とは?悪は魅力的!

悪とは?

悪とは、自己中心的な心、理解しない心、許さず恨んだり憎んだりする心など自分さえよければいいという思いから出る利己的な行動・言葉・想いをいいます。

これらの行いは必ずトラブルを作り出し、最終的に苦しむ不幸への道になります。

また、そのような苦しむことを理解せずに悪の行為をしてしまうので、悪とは無智や苦しみともいえます。

簡単!スピリチュアルな視点で見る善と悪とは - スピリチュアルのすすめ

でも、詳しく記事にさせていただきましたので、もし興味があったら読んでいただけたらなと思います。

悪とは一見魅力的

悪というと物を盗んだり嘘ついたりということをイメージしますね。

一見、悪というと避けて通りたいものですが、悪というのは、実は一見、魅力的であることがよくあります。

例えば、万引き、恫喝、身勝手なウソ、裏切り、隠蔽など、楽して目先の利益を得ようとすると悪いことが浮かぶことも多かったりします。

悪と物質的価値観

物質的価値観

お店で欲しい商品があった場合、盗んでしまうのが一番楽ですよね。

そして、その欲しい商品を万引きした場合どうなると思いますか?

おそらく、多くの人が一番最初に思いつくのが逮捕される心配だと思います。

実は、この考え方が落とし穴で逮捕されるからやらないというのは現世的な物質的価値観だったりしむす。

本質を見る必要がある

もちろん逮捕も抑止力にはなります。

しかし、逆に言ってしまうと、逮捕されなければやるということにもなってしまうわけです。

そうではなく、1人が万引きを始めると他の人も釣られて万引きを始める人がいます。

さらに、その万引きした人に釣られて、さらに他の人が万引きを始めます。

そうすると、お店そのものがやっていけないのでお店が潰れまいます。

すると結果として、本当に買い物が必要な時に身近にお店が無くなり困ってしまうことになります。

それどころか、万引きに釣られて悪いことを始める人というのは万引きだけに限りません。

万引きという未熟な心に釣られて、ウソをつくようになったり、簡単に人を騙したり、さらには恫喝やストーカーなど、どんどん悪い方向に流されるようになってしまい、そのうち、万引きしていい思いをしているつまりだった人も、そのうち騙される側になるでしょう。

その結果、万引きという一時的な快楽のために、必要なお店も安全な治安も悪化させてしまうわけです。

これは万引きだけに限りません。

残念ながら、ちょっとした嫌がらせや恨む心から始まることも普通にありえるのです。

すなわち、身勝手に生きるということは逮捕されるからという問題以上に、実は自分自身も、大切な人も、みんなを不幸への道へと進ませているということがいえるわけです。

このように善悪の本質は、逮捕されるからということではなく、身勝手な行動をすると結果としてみんなも自分も不幸になるということを理解することが必要になります。

悪の退治!

また、このように、悪というのは実は身近に潜んでいて、ちょっとしたことで未熟な悪い自分が表に出てきてしまうことがよくあります。

そこに気をつけて日頃からの日常を過ごすことで、結果的に自分もみんなも幸せになれるようになります。

ぜひ、皆さんも日常に参考になったらなと思います。

自殺と霊。自殺とは苦しみだ!

自殺したいほど苦しい。

でも、自殺は怖い。

自殺したらどこに行くんだろう。

そんなことを記事にしてみました。

自殺するとどうなる

結論から言ってしまうと成仏できません。

スピリチュアルから見た生まれ変わりの流れ - スピリチュアルのすすめ

の記事でも書きましたが、本来、人は現世を卒業すると幽霊の姿になって大体49日間の間はここの現世と成仏したときに行く幽界の間である幽現界にしばらくいることになります。

その後、お世話になった人に挨拶が一通り終わって未練も無くなると幽界という世界へ移動していきます。

この幽界へ移行したときが現世の言葉でいうと成仏になります。

 

しかし、私たちが現世に旅立ってきた理由は魂の成長です。

それを放棄して自ら自殺をしてしまうということは、学校で例えると、卒業の前日に学校を中退するのと残念ながら同じようなものです。

中退するということは、また4月から学校に通って同じように勉強して、同じように1年間学校に通わなければいけません。

きっと、多くの人は後悔するでしょう。

それと同じように、自殺した魂は生まれてくる前の記憶もすべて思い出すことになります。

そこで、取り返しのつかないことをしまったという後悔が未練になってしまい未浄化霊として現世に止まってしまいます。

死んでも楽にはならない

さて、未練を残して未浄化霊となった自殺した魂はどうなるでしょうか。

自殺した霊には2つのパターンがあります。

1つ目は、自分が死んだことに気づかず、何度も何度もひたすら自殺を繰り返し続ける霊になります。

残念ながら死ねば楽になれると思っていたのに、なかなか死ねずに何度も自殺を繰り返し苦しんでしまうことになります。

2つ目は、大きな後悔によって自らが真っ暗な暗い空間に閉じこもって、取り返しのつかないことをしてしまったとひたすら後悔をし続けます。

しかし、どんなに後悔しても生き返ることは残念ながらできないのです。

そして、あの世の世界では時間の概念がないため,そうこうしているうちに気づいたら100年経っていたということも普通にあるのです。

しかし、そのような魂も自らがこのままではダメだと気づき数年、数十年、数百年かけて自ら立ち直り幽界へと進んでいきます。

自殺した魂の生まれ変わり

自殺した魂もついに幽界へ行き、そこからさらに浄化が進み霊界へと進みます。

そして、様々な生まれ変わる準備をしてから現世に再び誕生します。

しかし、前世での自殺したときの計画が終わっていないため、前世での自殺した年までは、これまで経験したことと同じような楽しいことも嫌なことも経験しながら成長していきます。

そして、いよいよ前世で自殺した年齢に差し掛かってからが、ようやく再スタートとなれるのです。

自殺は苦しみへの道

このように、自殺すると長い苦しみの後にもう一度生まれ変わり、現世を何十年と生きてからようやく再スタートができるようになります。

その間の数百年という時間がかかってしまいます。

ですから自殺とは、残念ながら楽になるどころかより苦しむ道であり、もう一度、何十年と現世をやり直さなければいけない大変な道なのです。

であるならば、今、死にたいほど苦しくともなんとか踏ん張って生き抜いた方が絶対に楽なのです。

 

身内で自殺が出てしまった場合

身内で自殺者が出てしまう場合もあります。

そのような場合について解説させて頂きます。

身内が自殺して亡くなってしまった場合、残念ながら現世に留まってしまって、先程言ったように1人で後悔し続けていたり、自殺を繰り返していたりします。

私達には、その姿というのは見えませんがあの世というのは想いの世界になります。

ですから、たとえ姿が見えずとも現世を生きている私達から相手へ想いが届けることができます。

なので、もし、身内で自殺した人がいて成仏しているか心配ということであれば、どのような場所でも構わないので相手をイメージして「あなたはもう亡くなったんだよ。もし成仏してなかったら頑張って成仏してね。」というふうに、言葉を出せれば出して、出さなければ念じてその想いを届けるようにしてみましょう。

そういった想いは相手にしっかり届くので、立ち直る励みとなります。

すべての自殺が自殺というわけではない

一見、自殺のように見えてもそれは自殺でない場合もあります。

例えば、戦前の時代というのは相手に捕まるくらいなら自死しろと言われて育ってきていたりもします。

そのような場合は、今すぐ逃げたいという思いではなく、死にたくないけど死なざるおえなかったという自死になるため死んでもそのまま未練を残して現世に留まるということはありません。

こちらも動機が大切になります。

痛い、辛い、苦しいという思いで自殺してしまう場合は楽になることはありません。

生きなければならないのです。

自殺も学びになる(自殺していいわけではない)

自殺は余計苦しくなるのでオススメしません。

しかし、自殺した魂は来世では絶対に生き抜こうと思い生まれ変わってきます。

ですので、そういった魂は次は自殺せずに生き抜くことができます。

そう考えると前世での自殺によって高い代償を払ったものの生き抜くことの重要性を学べたという智恵がついたともいえます。

そして、すごく遠回りになってしまいますが、そこから学び無智を智に変えられた魂の成長ともいえるわけです。

これは、自殺したら楽になるとか、自殺していいということではなくて、自殺も障害もイジメも借金も離婚も病気もすべては学びだということを理解してくれたらと思います。

まとめ

自殺しても楽にはならず、むしろ余計苦しみと後悔で余計苦しくなってしまう。

身内で自殺した人がいる場合は、想いを届けることができる。

自死させられた場合は自殺にはならない。

 

 

 

 

スピリチュアルと子育て!親を選んでくる理由

魂は家族を選んで生まれてくる

私たちは、親やお兄ちゃんやお姉ちゃんを選んで生まれてきています。

さらに、家族によっては自分の後に生まれてくる弟や妹もある程度計画されて生まれてきています。

そして、私たちが現世に生まれて最初の学びが家族となります。

ここから、自分で選んだ家族と共に生活することで、魂の学びの旅が始まっていきます。

家族でも魂は別

家族というと、みんなが何かしら繋がりがあるように思いますが、実はそうではありません。

家族でも家族のみんなが同じ霊性で、同じ性格であるということではないのです。

ですが、性格が似ているということはよくあります。

それは、家族で似たカルマを持っているからです。

そして、家族の性格が似るということは、親ゆ兄弟という鏡を見て自分の未熟な部分をそのまま自分の鏡として見るということで、自分の未熟な部分を改善させてくれるありがたい存在といえるのです。

自分の未熟な部分を改善する役割であったり、家族全体で似たようなカルマを持っているため、それを解消する役割も持っているためです。

また、家族全体のカルマを解消する使命を持った魂もいます。

そのような魂は、自分以外の魂のために働く使命もあるのでより崇高な魂といえます。

しかし、それは特別ということではなく、それぞれの魂が自分の器をより大きくするために、みんなが平等に努力をし人生を懸命に生きているので悦に浸ることではありません。

大事なことは人のために生きることなのです。

家族なのに全然性格が違う

また、逆に家族なのに性格が真逆という子もよくいたりしますね。

これは、先ほど家族をそのまま自分の鏡として見ることで、自分の未熟な部分を改善していくという「カルマの解消」の意味があるとお伝えさせていただきました。

これと同じように、自分と真逆の性格の家族を見ることで、相手を理解する力や相手の尊敬できる部分を参考にして自分の未熟な部分のカルマの解消に繋げるという意味もあります。

双子でも魂は別

双子の場合も、性格や容姿が凄い似ていたりすることもありますが、こちらも魂自体は別になります。

とはいえ、双子として生まれてきたことにも意味があり、魂ごとに学びは変わってきますが、共通する部分もあります。

それは、双子として生まれてくるということは、同じ環境で育ち、同じ食べ物を食べ、同じ学校で生活をするということになります。

そのため現世では、人との絆を学ぶことや自分を鏡をよりはっきり見たいという意味があります。

そして、それが自らの魂のカルマの解消に繋がるということを理解して選んで生まれてきたのです。

 

 

 

 

幽霊と憑依!憑依の仕組みがわかれば怖くない!

毎日、嫌なことしか起きない…、もしかして、私は何か悪い霊に憑依されているのでは?

今回はそんな方向けに記事を書いてみました。

憑依とは?

憑依とは、霊が憑依した時の状態をいいます。

霊にもそこら辺にいる未浄化霊や自然霊が憑依したり、稀に霊媒として高級霊が憑依します。

ただし、教祖のように私には〇〇が憑いているというように偉人の名前を語るのはほぼすべて低級自然霊の憑依になります。

当然、幸せになることはできません。

憑依は怖くない

憑依というとどうしても悪霊など悪いものをイメージしてしまいます。

しかし、大抵の場合はそのようなことはなく、実は日常の中で普通に憑依されていたりします。

それでは、憑依されると人はどのようになってしまうか見ていきましょう。

泥酔は憑依の仕業

憑依する霊とは、まだ現世に未練があってお酒を飲みたい人は酒場にいたり、肉が食べたいという霊は焼肉屋にいることも普通にあります。

例えば、お酒を飲みすぎてしまって飲んでいた時の記憶がまったくないということがありますよね。

実は、そういった時は、お酒で理性が薄くかなってくることで、無意識状態のようになり、Aさんがお酒を飲んでいるようでも、実際は憑依している霊がお酒を飲んでいるということがあったりします。

また、普段よりやたら食べすぎてしまったということってありますよね。

実は、そういった場合でも、憑依がされていることがよくあります。

例えば、肉が好きで普通に食べているうちに、肉を食べたい未浄化霊が憑依して食べすぎてしまったり、また、周りの人の食べたいという思いが憑依して普段より食べすぎてしまうということも実は普通によくおきています。

このように、憑依というのは恐れるものではなく、何気ない日常で普通に憑依されていることもよくあったりします。

憑依は同じ波長で結ばれる

ここまで読んでいただければ憑依というのは恐ろしいものではなく、日常的によくあるものなんだということがわかったなと思います。

実は、この憑依現象というのは全てが波長で繋がっています。

例えば、仲のいい友人がいたりすると思いますが、実は、これも波長によって自分の波長が引き寄せた鏡になります。

とても面白い現象ですが、仲のいい人であればあるほど、目に見える肉体を持った同士の憑依なのです。

幽霊の憑依も怖くも何でもなくて、肉体の持たない幽霊が「あなたは私と同じ想いだね!一緒にいたい!居心地がいいの!」といってくっついているだけなのです。

なので、イジワルしようとしている人にはイジワルしたい未浄化霊が憑依するようになり、逆に、霊性の高い人には高級霊が見守ってくれるようになるのです。

憑依されるとどうなるのか

憑依されると、その性格が大きくでます。

酒飲みであれば歩けなくなるまで飲みすぎてしまったり、食事であれば食べ過ぎてしまうように、意地悪しようとする霊が憑依された場合、理性で抑えることができなくなってしまい、やらなくていい嫌がらせや過激な嫌がらせをしてしまうようになりトラブルを引き起こします。

しかし、それは憑依霊が悪いのではなくて、その意地悪したいという気持ちを持っている自分が引き寄せているだけの話しであって、厳しいですが、憑依される自分が悪いのです。

憑依を解くには

憑依を解くには憑依霊と波長を合わせないことが重要です。

先ほど、意地悪したい人に意地悪したい霊が憑依してしまうと説明しました。

これは、なぜ憑依するのかというと、同じ想いを持つ人なら自分の気持ちを理解してくれるので、憑依した状態がとても居心地がよくなってしまい離れたくなくなるからです。

これは、逆に言えば同じ想いを持たなければ、未浄化霊も居心地も悪く憑依されるということがなくなるということです。

そのためには、常日頃から人を陥れたり、嫌がらせしようとする心や、差別的な心を持たずに、人の気持ちを考えて思いやりを持って接することが大切です。

そうすれば、そのような人は悪い霊とは波長が合わないので憑依されることはありません。

それどころか、高級霊からのご加護をいただけるようになります。

何でもかんでも除霊しますという霊能者は偽物

除霊して幸せにしますという霊能者は偽物です。

ここまでも説明してきましたが大抵の場合、憑依は自分の心と同調して憑依されます。

そのため、仮に霊能者と呼ばれる人に除霊してもらったとしても、本人が変わってないわけですからまた同じような未浄化霊に憑依されてしまいます。

なので、除霊して幸せになれるなんていうのはまず偽物なのです。

まとめ

幽霊の憑依というのは私たちの心が原因です。

そして、「人の役に立ちたい!」「思いやりを持って行動したい!」という人には高級霊が見守ってくれます。

なので、除霊したところで心が変わらなければ、また同じ思いを持った霊に憑依されます。

ですから、普段の心がけを大切にすることと、除霊しか言えないような霊能者なんて信用はゼロです。

 

無償の愛とスピリチュアル

今回は無償の愛についてスピリチュアルな視点から解説していこうと思います。

無償の愛って何?

無償の愛とは見返りを求めない愛のことをいいます。

親から子供への愛が、この無償の愛と似ていることがとてもあります。

なんで見返りを求めたらいけないの?

見返りを求める愛というのは、自分のためだからです。

例えば、友達に洋服を買ってあげて、宿題も見せてあげて、なんでもしてあげたとしてます。

そして、相手からは何をしてもらえるかなぁ〜と待っていたところ、待てど暮らせど何もしてもらえません。

そうなるときっと、「あれもこれもやってあげたのになんで何も返してくれないの!」と怒ってしまいます。

しかし、冷静に考えると、その友達と何かお返しをする約束をした訳でもなく、実は、自分だけの独善的な妄想でしかなかったのです。

実は、この思考はストーカーの思考と似ています。

ストーカーの思考

ストーカーの思考というと、「自分を嫌っているわけがない」とか、「あいつが自分たちの恋を邪魔している」などものすごく独善的な感情を抱いています。

その結果、大きなトラブルが起きてしまいます。

それと同じで、約束も何もしていないのに見返りを求める行為は友人関係のトラブルに発展してしまいます。

やはり、そうならないために、運動会で自分の学年の競技を決める時に「あれやりたい!」「これやりたい」というふうに意見を出し合うように、自分が思っていることや、やりたいことなどを会話で伝えあってお互いが納得する選択が大切です。

しかし、欲しいものは欲しいと言った方がいい

これは、結婚生活で特にそうだと思いますが、「なぜこの人は物を片さないんだろう?」とか、「なぜこの人は時間を守らないんだろう?」と、いうふうに時間が経つごとに時間が経つごとに不満を持ってしまうことがありますね。

しかし、それをずっと我慢して溜め込んでしまうと、どこかで限界がきてしまいます。

そうならないように、お互いに「これをして欲しいけどどう思う?」とか、「門限は○時まで。それ以降、遅くなるなら連絡しましょう」というふうに、して欲しいことや、されたいことなどを話し合いながら生活を送っていくということも、とても大切です。

見返りを求めない愛の与え方

「見返りを求めない愛ってどうやるの?」と思う方もいるかと思います。

そこで、今回は私なりに見返りを求めない愛のやり方について説明していこうと思います。 

まず、私たちは、普段の生活の中でたくさんの人助けをしています。

落とし物を拾ってあげたり、道を案内してあげたり、お仕事での譲り合いなど沢山のことをしています。

その行為はとても素晴らしいことですが、しかし、その先に「これだけのことをしたんかだから何かいいことあるだろう」と、見返りを求めてしまうことがよくあります。

ですが、私はこの考え方は間違っていると思います。

スピリチュアルには、いいことをすればいいことが返ってくる。悪いことをすれば悪いことが返ってくるというカルマの法則があります。

この視点で見ると、落とし物を拾ってあげたいと思った時に、求めていることって相手が幸せになることですね。

ですから、私は、落とし物を拾って相手が幸せになってくれた時点で十分カルマは返ってきたと思うようにしています。

しかも、人というのはいい行為も悪い行為も伝染していきます。

ですから、わたしが助けることができた相手は、きっと他の誰かのために行動してくれていると信じています。

人のために行う行動は日頃の感謝

また、私たちは、特に考えることもなく、日頃から人と会話をし、コンビニで買い物ができて、相談を聞いてもらえたり、時には落とし物を拾ってくれたりもします。

なので、人助けをする時は、その常日頃から与えてもらっている行いへの感謝も込めて、私は行っています。

ですから、やってあげたからやってもらうという発想はなく、むしろ人助けは日頃の行いに対する感謝だと思えば、見返りというのはそもそも求める必要もなく、それよりも相手のために行動させて貰えたことに感謝できるようになるのだと私は思っています。

難しく考えなくても大丈夫

ここまで、小難しく書いてしまいましたが、実は、あまり難しく考える必要もありません。

「困っていたから助けたい」という理由だけで十分だと思っています。

時に立ち止まることも大切

しかし、もし今後生きていく中で、「あの時あれだけやったのになんでこんな苦しむんだろう」という思いがよぎった時は、一度立ち止まって、私は見返りが欲しくて行動したのではないということを思い出してみましょう。

 

 

 

 

障害者とスピリチュアル

世の中、生まれながらにして障害を持っている人がいます。

どうしてもそのような人の中には、無知な発言から傷ついてしまい劣等感を抱いてしまう人もいますね。

今回は、そんな方のためにスピリチュアルな視点から見た身体障害や知的障害などについて書いていきます。

障害は悪いもの?

スピリチュアルの視点から見てみると障害はまったく悪いものではありません。

しかし、障害を持った理由はいくつかのパターンがあります。

スピリチュアルからみた障がい者の特徴

①今回の生まれ変わりでより大きく成長したい魂

こちらは、今回の生まれ変わりで今まで以上に大きく成長していきたいという魂になります。

そのため、人一倍重い学びを選択して生まれてきた魂になります

②前世のカルマが返ってきている魂

こちらは、前世のカルマにが現世に返ってきた場合になります。

例えば,前世で腕がない人をバカにしたりいじめたりした結果、霊界で反省して現世ではやられる側の痛みを知ってみたいと考えて生まれてきたりします。

しかし、このようなことを言ってしまうと自分が悪人のように感じてしまうかもしれませんがそのようなことはありません。

人はみんな未熟である

例えば、私も大金を騙し取られたこともあります。

この詐欺の被害にあった時に当然ショックは大きかったですが、霊性に考えると楽して成功しようと考える未熟な考え方がありました。

この被害は冷静に考えてみると、良いことをすれば良いことが返ってきて、悪いことをすれば悪いことが返ってくるというカルマの法則を理解していないからこその被害だったんだと私は思っています。

スピリチュアルを知っていてもこの程度なわけです笑

それからというもの、上手い話には極力警戒して、普通のスマホを買うにも店員は悪いことは言ってくれないので自分で調べてから買うようにしていたりします。

それと同じように、障害というものを毛嫌いするものでもなく、障害があるからこそ人の冷たさを理解でき、さらに、手伝ってくれる暖かさも体験できるのです。

大体の人は障害を持たずに生まれてきます。

しかし、生まれながらの障害は悪い物ではなく、むしろほとんどの人が経験できない学びを沢山できるありがたいレアパターンともいえます。

前世に引っ張られない

もしかしたら、人によっては耳が痛い話しだったかもしれません。

しかし、はっきり言って前世なんて終わった話しなどどうでもいいのです。

今,現世を私たちは生きています。

この現世で「腕があったらなぁ」「足があったらなぁ」「知的障がいがなければなぁ」など思うことも沢山あると思います。

しかし、何十回、何百回と生まれ変わりはあります。

そんな中で、障害を持って生まれてくることの方がきっと少ないです。

なので、苦しいことは沢山あると思いますが、障がいを今しかできない嬉しい体験と考えて、現世でしか味わえない様々な体験を楽しんでみてはいかがでしょうか?

今の行いが未来につながる

凄く耳の痛い話しですが、良い行いも悪い行いもすべて返ってきます。

今、障害者をバカにしている人はきっと反省する機会がきます。

逆に、今、障害などで苦しくとも日々、頑張っている努力も霊界は全てを見ています。

そのような努力もきっといい形で必ず返ってきます。

もちろん、来世で障がいを持つということもないでしょう。

ぜひ、来世を楽しみにして今を生きてみてください。

現世の寿命もあっという間です。

今、起きている全ての現象は私たちの行いの結果です。

そして、これからどのような人生にしていくのか、どのような世の中にしていくのかの選択も私たちの行動にかかっているのです。

みんな成長するために生まれてきている

障害のある人も、詐欺にあった人も、裏切られた人も、孤独な人も借金漬けの人も、結婚相手も全てが自分で選んだ結果なのです。

誰がよくて誰が悪いということではないのです。

 

スピリチュアルと科学

スピリチュアルというとどうしても非科学的で怪しいものというイメージを持つ方もいるかと思います。

そこで、今回はスピリチュアリズムと科学について簡単に記事にしていこうと思います。

スピリチュアルとスピリチュアリズムの違い

スピリチュアルとは

スピリチュアルは主に目に見えないものだったり、占いなど科学で解明できないことをいいます。

もちろん、その中には怪しい人が沢山います。

スピリチュアリズムとは

こちらは目に見えない霊現象などの研究と霊媒の霊言によって導き出された霊訓を日常生活に活かし、より人生を豊かにするためのものになります。

スピリチュアリズムの始まり

1848年、アメリカのハイズビューという村にあった一軒家で霊と会話するというポルダーガイスト現象がありました。

そして、その霊と音で会話をした結果、チャールズロスナーという霊で、霊との会話によってその人物が殺されて地下に埋められていることが発見しました。

当然、勘で殺人時間が解決する訳もなく、この事件が話題となり、多くの有名な科学者によって、その原因を究明しようというところがスピリチュアリズムの始まりになります。

研究によって

様々な科学者によって研究された霊現象でした。

しかし、結局、解明はできずにトリックがあるということは証明されずに事件は終わりました。

様々な霊現象

その後も、霊現象の科学は続きエクトプラズムや、様々な霊視など科学的な研究は国家レベルでも行われていきます。

また、アメリカのリンカーン大統領も霊媒が霊を下ろし霊言を話す交霊会によく出席していたそうです。

シルバーバーチ

1920年高級霊といわれているシルバーバーチという霊がモーリスバーパネルに憑依し、霊言を話し出したことが当時とても有名となりました。

さまざまな不思議な現象

シルバーバーチが話し始めた頃は、霊言と物などが勝手に動く物理現象なども起きていたそうです。

しかし、そのような物理現象は霊を証明するための手段なので、年が経つごとにそのような物理現象は最終的にはなくなったそうです。

また、憑依している状態でも科学実験がされていて、シルバーバーチが憑依されている間は明らかに心拍数が変わっていたり、憑依している時に針で思いっきり刺しても憑依が解けた頃には傷は跡形もなくなっていたという記録があるそうです。

高級霊と低級自然霊

高級霊とは

そもそも、高級霊ってなんだろう?という方もいると思うので、高級霊についても解説させていただきますね。

高級霊とは、霊界にいるようなかなり浄化が進んでいる霊や、完全に浄化が進み既に現世に生まれ変わる必要がなくなった霊をいいます。

このような霊は、誰か人に指図するということもなく、現世の力になりたいという思いから自ら現世に降りてきて多くの真理を伝えてくれます。

高級霊は私が高級霊だと声高々に言うことはありません。

むしろ、私もあなたも変わらない存在なんだと伝えてくれます。

低級自然霊とは

低級自然霊とは現世に生まれてきたことない霊になります。

この低級自然霊は、まだまだ未熟なため争いや破壊などを好み、自分さえよければいいという思いを持っています。

しかし、この低級自然霊という存在も私たちと同じように成長しており、私たちが一生懸命目標や人の為に頑張っている姿も見ています。

そのような姿を見て低級自然霊も少しずつ成長し、最終的には高級自然霊へと進化していきます。

魂を否定する非科学な結論

これまでに、多くの魂に対する科学実験がされてきました。

それなのに、その研究結果を全く見ずに無いものは無いと全否定する人がいます。

それは、テーブルの上に置いてあるリンゴを「ないない!」と、言っているようなもので、まったく科学的ではないのです。

信じなくてもいい

とはいえ、まだまだ完全に解明されたわけではありません。

しかし、意外と霊訓くらいが丁度いいのかもしれません。

魂の存在が完全解明されると、あんまり霊界と変わらないように感じます。

それよりも、現世で別々の存在となり、皆んながワガママに生きて、未熟であるが故に傷つけ、傲慢な人が長寿となり、いい人が短命になるからこそ、幸せとはなんなのか?

なぜいい人ほど逆境に立たされるのか?

どのように生きることが大切なのかということを学ぶ機会をいただけているんだろうと感じています。

それは、つまるところ困っていたら助けたい、人の役に立ちたい、人のために生きたいという幸せに行き着くのかもしれません。

 

あなたが泣いているから私も悲しい。

あなたが苦しんでいるから私も苦しい。

あなたが元気になってくれたから私も元気になれる。

あなたが喜んでくれるから私も嬉しい。

意外とそれくらい簡単なものなんでしょうね。