スピリチュアルのすすめ

スピリチュアリズムについて記事を書いてます。

結婚相手の見つけ方と本当の強さ

何故かいいなと思った男性が暴力的であったり、あまりにも自己中で中々いい人と巡り会えない…なんてことはありますか?

今回は、そんな人と付き合わないための方法と本当の強さについてに記事にしました。

2つの強さ

まず、現世には大きく分けて【物質的な強さと精神的な強さ】と【本物の強さと未熟な強さ】があるように思います。

この強さをちゃんと見定めないと間違った強さに

に惑わされてしまってよくない恋人を選んでしまうことがあります。

特に、何故か付き合う男性のみんなが暴力的だったり自分勝手すぎる男性を選んでしまう人なんていう人は要注意といえます。

実はそこには「今の苦しい状況を助けてほしい」「少しでも楽したい」「私の全てを受け入れてほしい」といったような縋る思いや依存心が強く出てしまっていることがとても多いように思います。

そして、縋る思いや依存心のような自分自身の低い波長によって、実は低い波長の男性が魅力的に見えてしまっているのです。

しかし、残念ながらそのようなお互いの依存心で繋がった相手とは、お互いが助けてほしい、理解してほしいとなってしまうので、恋愛や結婚後もなかなか上手くいかなくなってしまいます。

それでは、そうならないように今回の記事で本当の強さを判別できるようにしていきましょう。

本当の強さ

強さには物質的な強さと精神的な強さがあり、さらに、本当の強さ(高級霊的な強さ)と未熟な強さ(動物的な強さ)に分けることができるように思います。

物質的な強さ

まずは物質的な強さから見ていきましょう。

パッと思いつくものとすると筋肉の強さ、スポーツの強さ、お金や不動産といった財力の強さ、さらには酒、ギャンブル、女好きといった未熟な男らしさも物質的な強さといえるかも知れません。

精神的な強さ

続いて、精神的な強さを見てみましょう。

こちらは、気の強さ、優しさ、我慢強さ、鈍感であるが故に何も感じないから強く見える強さもどき等もあります。

大切なのは波長

こうやってみると強さには物質的な強さと精神的な強さがあるのだと分かります。

そして、ここから更に本物の強さと未熟な強さに分けていきましょう。

そうすると、

本物の強さ・・優しさ、何かを守るための我慢強さ。

未熟な強さ・・財力の強さ、酒・ギャンブル・女遊びといった男らしさもどき、鈍感であるが故に気にしない強さもどき

というようになりますね。

 

こうやって考えると簡単で、幸せになる恋人選びはまさに本物の強さをもった相手を探すことが大切です。

そして、私が気になっている異性は本物の強さなのか、それとも未熟な強さなのかを簡単に自分自身で見定めていきましょう。

縋らない、依存しない

ここまで、縋る思い依存心があると上手くいかないということをお伝えしてきました。

つまり、上手くいかせるためには逆の心がけをすれば必ず道は開けます。

それは、共に乗り越えていくという正しい理解と、もし、旦那がダメになっても自分が支えていくんだくらいのしっかりとした自律心を持ち、いざとなれば自分が稼いでなんとかするくらい自立心を強く持つこと!

そうすれば自ずと動物的な未熟な強さを求める必要がなくなります。

すると、本当の意味で優しい人を見定めることができるでしょう。

結婚の幸せ

また、現世の考え方でいうとお金持ちと結婚して楽したいとか、容姿のいい人と結婚したいという思いもあると思います。

しかし、全ては経験と感動ですから、そのような相手と結婚したいという思いは否定はしません。

ですが、もっとも重要なことは沢山の人生における経験と感動です。

もしかしたら、結婚後、なかなか子供が授からなかったり、お金がなくて今日生きるのがいっぱいいっぱいになってしまう時や、離婚して寝る時間すらまともに取れないなんてこともあるかも知れません。

しかし、スピリチュアルの視点から見れば、むしろ、そちらの方が様々な経験を得られるので幸せでもあります。

そして、このような正しいスピリチュアリズムの知識さえあれば苦しみから逃れるために縋る想いや依存心を持つ必要がなくなります。

そうすることで恋人を涙目で見なくなり、必然的に思いやりのあるよいパートナーを見つけることができるわけです。

ちなみに、結婚の際に「妻を幸せにすることを誓いますか」「誓います」なんて合言葉がありますがあれは間違いです。

スピリチュアルな視点で見ると、結婚相手は2人でこれからの学びを乗り越えていこうという誓いです。

決して結婚だけで幸せになることはありえません。

共に乗り越えて沢山の経験と感動を体験し成長することそのものがスピリチュアルな視点から見た幸せなのです。

最善を尽くせばどのような結果になろうともそれで十分なのです。

 

 

 

 

 

 

真理の泉をすすぐ者はいても飲む者は少ない

スピリチュアリズムに出会い、その内容が正しいと思う人は沢山いると感じます。

しかし、スピリチュアリズムという真理は実践を伴ってこそということを忘れてはいけません。

真理の泉を飲む者すすぐ者とは?

真理の泉をすすぐ者とは?

まず、真理の泉をすすぐ者とはスピリチュアリズムという真理を頭では理解できて素晴らしいとは言うものの、日常では真理なんて何のその、ウソや誤魔化しは当たり前、世の中金を稼いだ奴が偉いんだみたいなどう考えてもスピリチュアリズムとはいえない物質主義で生きてしまってる実践が伴わない人をいいます。

例えば、スピリチュアリズムをちゃんと勉強すれば、

1私たちは何故現世に生まれて来たのか?
2なぜ生きなければならないのか?
3どのように生きるべきなのか?
4また、現世を卒業した後どのような世界へ行くのか?

など、テストの問題のように出題すれば、ある程度スピリチュアリズムを学んでいる人ならきっと答えはがわかる人も多いのではないでしょうか?

 

せっかくなので、このブログを読んで頂いている方の中にはスピリチュアリズム1日目という方も多くいらっしゃると思うので、答え合わせからしていきましょう。

わかる方は飛ばしちゃって下さい。

 

それではまず最初に1の私たちは何故生まれてきたのでしょうか?

それは魂を成長させたいからです。

また、苦しみたいからといっても間違いありません。

そもそも霊界ではスピリチュアリズムが常識になっています。

ですから、あなたは私であって私はあなたという私達は全てが一つの塊であるという類魂の意識が当たり前にあります。

そうすると、みんなが自分とまったく同じ存在だという理解が完全にあるので意地悪や差別といった辛い出来事も全くない常に幸せな状態でい続けることができます。

しかし、そのうち何百年と霊界にいれば段々意地悪のない世界に飽きを感じるようになります。

そうすると段々霊界に住んでいると意地悪されたい、騙されたい、今までよりも成長したいという思いから私たちは好き好んで現世にやってくる選択をするようになっていきます。

ですから苦しくて死にたいという感情は実は不思議でもなんでもなくて、その苦しみ(自身の未熟な部分)を乗り越えることが人生の最高の楽しみといってしまっても過言といえるわけです。

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2  ですから、現世では苦しくても私たちは魂の上では生きたいと思っていますし生きなければいけません。

もちろん自殺という選択も現世ではできます。

しかし、それは学校を中退するのと同じようなもので、結局、自殺したところでまた何十年と似たような人生を繰り返すところから再スタートしなければいけないという事実があります。

ですから、もしよければ自殺をするくらいであるならば、地べたを這いつくばってでも生き抜いた方が実は幸せでお得なのです。

そして、そのような喜怒哀楽の経験が最高の幸せともいえます。

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3  また、 現世では真理を学ぶ実践の場でもあります。

ですから、悪が跋扈している現世だからこそ意地悪をされてもやり返すのではなく、相手の気持ちを理解し、許し、全ての物事に感謝をし、自分はまだまだ未熟な存在だと謙虚な心を持ち、時に厳しく、正しいことを正しいと伝えられるそんな霊的真理に沿った生き方を現世でも実践し、よりスピリチュアリズムという真理を本当の意味で理解した生き方が大切になります。

 

4  そして、魂というのは死んで無になるのではなく永遠にあり続けます。

ということは良き行いも悪い行いも必ず返ってきます。

それは、現世だけに留まらず、現世の行い(カルマ)がそのまま来世に返ってくることもよくあります。

ですから、自分自身の幸せの為にも悪い行いをせず、良い行いを沢山した方が最終的には幸せになれる道筋が出来上がって行くのです。

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という感じでここまで簡単に答えをまとめました。

もし、わからないところがあった人はとても重要な知識でもあるので知識として頭に叩き込んでしまいましょう。

 

ということで本題はここからです。

早速、いくつか質問させていただきますね。

1  もし、自分の嘘がバレて損を被りそうになった時に、屁理屈を言ったりして言い訳することはありますか?

2  嫌いな人をちゃんと理解し許すことができず、嫌がらせをしたりしてしまいますか?

3  人なんかどうでもよくて自分の利益のために嘘ついたり身勝手な行動をしていませんか?

4 職業や年収や容姿や結婚歴などで人の優劣をつけますか?

 

以上、この4つの質問の中から日頃のあなたの行いを見て「はい」と答えが出てきたものはいくつ当てはまりそうでしょうか?

この「はい」の数が多いほど真理の実践ができているようで残念ながら実はまだまだ出来ていないのです。

とはいえ完璧に真理を理解し行動できる人はいません。

それを理解した上で日々の成長の努力をすることが、ほんとの意味でスピリチュアリズムの真理を理解しているともいえます。

真理の泉を飲む者とは?

それでは逆に真理の泉を飲む者とはどんな人でしょうか?

それは、スピリチュアリズムという知識を頭だけではなく日常生活に取り入れている人をいいます。

先ほど4つの質問をさせていただきましたが、いいえと答えられた人こそがまさに真理の泉を飲む者です。

幸せになりたい人は真理の泉を飲む人を目指していきましょう。

すすぐだけでは不幸から抜け出せない

ここまで真理の泉を飲む者とすすぐ者について説明させていただきました。

そして、是非、スピリチュアリズムに出会ってこの真理は間違っていないと理解できた人は飲むように変わっていくことをオススメします。

真理の泉をすすぐだけでは人生をいい方向へ変えることは残念ながらできないのです。

例えば、きっとこのブログを気に入って頂けた読者さんなら、普段の時ならブログを読んで「そうだよね〜」とか「間違いない!」なんて思える人は多いでしょう。

ところが、いざ自分が物質的に見て損する立場になった時だとしても、真理に沿って行動できる人というのは残念ながらまだまだとても少ないといえます。

いざ、そのような場面に出くわすと今までのスピリチュアリズムの知識をすっ飛ばしてしまって「結局真理って役に立たないよね」とか「真理って綺麗事だよね」なんて言い始めてしまって嘘や誤魔化しをしてしまう人は沢山います。

これではせっかくのスピリチュアリズムという霊的真理も人生に活かせません。

もし、人生を好転させたいというならば、スピリチュアリズムを綺麗事として悦に浸るためにやるのではなく嘘をつかない、身勝手なことはしない、思いやりを持つ、見返りを求めずに世のためになることを沢山する、苦しみは現世でしか味わえない楽しい経験である、お金で人の価値を判断しない、見た目で判断しないといった正しい理解と日々の日常での実践がとても重要です。

このような実践を伴ってこそ人生をよりよく切り開いていくことができます。

それが全てなのです。

 

 

 

 

 

 

 

先祖供養とスピリチュアル

霊能者の中には何か悪いことがあるとすぐに先祖供養をしなさいという人がいますが、そのような人は何もわかっていません。

あり得ない話

先祖というと、自分の血筋の親や祖父というように先祖代々続いてきたものですが、きっといつの時代も自分の子供は自分のことのように愛して育ててきたのだと思います。

そして、現世を卒業して幽霊という存在になっても肉眼で見えないだけであって、性格は何も変わりません。

なので、子供に愛情をたくさん注いだ親は幽霊という魂の存在になっても我が子や孫を愛し続けています。

そんな親がわざわざ魂の存在になってから我が子や孫を恨んで苦しめるわけがないのです。

対処が必要な場合

しかし、例え、子供や孫などを恨んでいなくても、枕元に亡くなった親や祖父母やさらに先の祖先が出てくる場合があります。

このような場合は、子や孫を恨み憎しんでいるわけではありません。

このような場合は、何か未練が残っていてそれを伝えたくて出てきています。

例えば、亡くなった親がお墓をとても気にしていてお墓が汚れているのが嫌で、それを直して欲しくて枕元に出てくるということなどがあります。

このような場合は、一般的な常識で考えてお墓があまりにも汚いということであれば、当然、掃除をした方がいいです。

しかし、例えばお墓そのものを建て替えて欲しいとか無理なお願いは無理して聞く必要もありません。

そのような場合は、何かしら仏壇などがあると思うので、そこから出来れば声を出して「お金がないのでできません。それよりも早く成仏してね。」と、相手に伝えるようにしましょう。

結局のところ、亡くなった方の未練が残っているだけなので、わざわざ無理な要求に答えるよりも早く成仏して幽界で新たな人生をスタートしてもらうことがお互いの為なのです。

偽物に騙されない

偽霊能者は何かと先祖のせいにしたがります。

ここまで読んで頂ければわかると思いますが、虐待などの特別なことがなければ亡くなった父母が自分に対して悪いことをしてくることはありません。

宗教的先祖供養

仏教やキリスト教など世の中には様々な宗教がありますが、スピリチュアルの視点から見るとこのような供養方法でなければならないというものはありません。

なので、亡くなった人が一番自分が亡くなったことが理解できるような供養方法を選ぶと相手も迷わずに幽界へと進むことができます。

このような言い方をしてしまうと、すごく成仏マニュアルのように聞こえてしまいますが、そうではありません。

大切なのは相手を思う想いです。

この相手を思う想いがあれば、どのような供養方法でも悪くなることは絶対にありえません。

まとめ

先祖が自分に対して何か不幸にさせることは虐待など特別なことがなければ起こらない。

なんでも先祖のせいにする人は偽物確定なので気をつける。

 

 

霊性高める方法

今回は、霊性(魂年齢)を高める方法をお伝えさせていただこうと思います。

霊性(魂年齢)とは?

それでは早速、そもそも霊性とは何かという話しをさせていただきます。

結論から言うと霊性は人格といっていいでしょう。

なので、自分の霊性が高いかどうかというのは、自分自身の人格力が高いかどうかで判断ができます。

さらに、人格の高さはその人の善性の強さがどれくらい強いかになります。

その善性の強さは以前の記事の善悪の判断!これで簡単解決! - スピリチュアルのすすめで、書きましたが、どれだけ身勝手に生きず、人のことを考えた想いや、その想いから出てくる人を想う言葉や行動になります。

ですから霊性を高めるためには、善性を強くすることで高めることができます。

霊性は比べない

霊性を高めたいという想いは、世のため人のために生きたいということになります。

それはとても素晴らしいのですが、霊性の差というのは間違っても人を比べるための道具ではないという理解は忘れてはいけません。

ついつい、どうしても人というのは優劣をつけたがります。

なので、あの人は霊性が高いとか逆にこの人は

霊性が低いとか比べてしまいがちですが、霊性を比べること自体が間違いです。

すべての魂は一つである

私達の魂は全て一つの同じ存在です。

ですから、私もあなたも同じ一つの魂ですし、大好きな人も大嫌いな人も、キリストやお釈迦様も、暴力団や殺人者も、動物や植物や鉱物でもそれは私と同じ一つ存在です。

少しの違いといえば、生まれ変わりの回数が多いか少ないかの違いだけになります。

生まれ変わりの回数が多いと、それだけ人生の経験値が多くなりますね。

しかし、厳しくいってしまうと誰でも生まれ変わり成長を続けるので、誰がいいとか悪いとか比べている時点で、霊性の低さを露呈してしまっているといえるのです。

霊性が高い人とは誰かと比べる人ではなく、老若男女問わず困っている人のすべてを我ごとのように捉え、世のため人のために活動している人です。

このような人は誰かと比べるようなことはしないのですし、お金や地位ではなく、もっとこのような人格者こそ尊敬し価値を見出されるべき存在です。

霊性の高い人を目指そう

以前にも書かせて頂きましたが、霊性はそのまま人格になります。

ですから霊性が高い人というのは、それだけ人格者になります。

そして、その人格者はどんな人をいうのかというと、思いやりを持ち、身勝手な嘘をつかず、他者の気持ちを理解し許し、何をされても恨まず理解し、人々のために時に厳しく、時に優しく、人々のためになるだろうということを行える人です。

なので、もし、霊性をより高めていきたいという想いがある人は、このような人格者を目指して善性を高めていってみましょう。

きっと、年数を追うごとに純粋で広く視野で物事を見られるようになっているはずです。

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霊性が高い人は偉くない

私はあなたよりも霊性がこんなに偉くて素晴らしいのです!と語る人がいますがこれは違います。

霊性が高い人ってどんな人?

霊性が高い人というのは人を見下す人ではありません。

全ての人を我ごとのように捉えることができる人です。

例えば、よくアセンションとか5次元とか言ってる人はよく「私はあなたとは住む世界が違いますから笑」みたいなよくわからない発言をしている人がいますが、このような人たちは要するに、「今、現世で苦しんでる人はほったらかして自分達だけ幸せになります。」と、とても高次元とは思えないようなことを言っているようなものです。

からしてみれば、世の中困ってる人が沢山いるのに、自分達だけ幸せになろうとする奴のどこら辺が高次元的な考え方なんだろうと思ってしまいますが笑

いったい、誰がこのような方々を尊敬できるのでしょうか?

むしろ、お金をむしり取られたり、最悪、搾取する詐欺師側に回らないか心配になります。

霊性の高さは人格の高さ

それでは霊性とはなんでしょうか?

霊性とは、そのまま人格の高さといっていいでしょう。

そして、人格の高さは善性の高さといえます。

善性の高さとは、自分のことを気にせず見返りを求めず、相手の魂の幸せを考えて行動できる行いです。

仏教でいう滅私の心ともいえます。

例えば、インドのカルカッタの貧困の人々の為に活動したマザーテレサがとても霊性の高い方でした。

マザーテレサは、それなりの生活をしている中で、それを全て捨てて布切れ一枚持ってスラム街へ飛び込み、多くの人々を救う活動を始めていきました。

そのような、ただただ人のために活動する姿が多くの人に感動を与え支持されるようになっていきました。

マザーテレサはとても霊性が高く、生まれ変わりは今回で終わりといわれています。

霊性の高さとはこのように日常の行動に現れるものであって、自分さえ幸せならばそれでいいという考え方はそのまま霊性の低さを表してしまうのです。

逆にいえば、その自分さえよければいいという考え方を改め行動を変えていけば、それだけ霊性は向上します。

ホームレスはオーラが綺麗

また、霊性が高い人というのは、必ずしも有名になって尊敬されるとは限りません。

それでは、霊性が高い人というのはどんな人に多いのでしょうか?

実は、ホームレスに霊性がとても高い人がいます。

そのような人の中にオーラがとても綺麗で人徳もある人がいたりもします。

とても不思議に思うかもしれませんが、現世と霊界では全てが真逆です。

現世では、愚かにもお金を持っているかどうか、出世しているかどうかという点だけで何故か褒め称えられる現代社会です。

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しかし、霊界では人格がすべてです。

どんなに綺麗な言葉を並べて人々を騙せても霊界では心が姿形として現れてしまいます。

ですから、どんなにお金を持っていた人でも社会的地位が高かった人であっても霊界では騙すことができません。

心そのものが汚いとその人の姿も汚らしい身なりで現れてしまうのです。

ですから、どんなに綺麗な言葉を並べていても、姿形で嘘を言っていることがバレてしまうのです。

 

また、現世は学びの場です。

霊性の高い人が裕福な家庭に生まれて、素晴らしい人格者の親元に生まれ、職場も自分の才能に適した職場に自然と入っていき、あれよあれよというまに出世して皆んなから尊敬される人生を歩んでも魂の成長にはまったくならないのです。

それよりも、貧しく、学校ではいじめられ、仕事もなかなか上手くいかず、馬鹿にされたり見下されたりする人の未熟さをしる人生を通して、多くの人々の気持ちをより理解し寄り添う人格を作り、自らの魂の成長と共に、身近な人々や多くの人々を助けさせていただける大きな導き与えるお仕事をいただけるのです。

 

現世は楽しむ場

とはいえ、霊性を高めるためにわざわざ思い悩み苦しむ必要はありません。

私達が霊界へ帰るまではずっと霊界までの導きがあり、必要なことしか起きないようになっています。

ですから私達は現世を一生懸命生きればそれだけで霊性は向上しています。

もちろん、もっと人の為に役立つことをしたいという行いはとても素晴らしいことですし、見返りを求めなければ、それ相応の結果は返ってくることでしょう。

何も恐ることはありません。

人生は楽しむところです。

苦しみは現世でしか味わえません。

ですから苦しくていいのです。

大切なことは一つ一つの経験を通して人として成長することなのです。

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神社でお願いは叶う?叶う時と叶わない時

神社で願いは叶わない

よく、神社ではお参りをする際にお願い事をすることがあると思います。

しかし、これはほとんどの場合、意味がありません。

というのも、スピリチュアリズムの視点から見れば、楽して願いが叶うとということは普通は無いからです。

しかし、稀に普通で無いことがおこり、願いを叶えてくれる場合もあります。

それは、何か特別な凄い存在ではなく、その神社にたまたま居合わせた低級霊が願いを叶えてくれます。

しかし、この場合でもカルマの法則は自然と働きます。

そうなると、一見、楽に成功できたように見えて、その後に結局、苦がより大きい形で返ってきてしまいます。

 

また、そのように低級霊に憑依されなくても自分の願いは全て高級霊のところに届くことはなかなかありません。

なぜかというと、神社で個人的なお願いをしたとしても、願いを叶えてくれるほどの高次元の高級霊のところまでは想いの波長が低すぎて届かないようになってしまっています。

 

実際は、神社で願い事をしたとしても、自分自身である守護霊がさらに上の高級霊に伝えて、その高級霊がさらに上の高級霊に伝えてという伝言ゲームのようになっていて、人の幸せを想うような利他的な願い事以外はすべて、高次元に届く前に却下されてしまうので、願いが叶うことは起こりません。

 

しかし、人の幸せを願う利他の想いなら叶うこともあります。

とはいえ、願いが叶うか叶わないかということが大切ではなく、もっとも大切なことは現世での経験です。

利他の想いからくる願いであれば叶うこともありますが、願いが叶わないほうが魂の気づきになるのであるならば、あえて願いを叶えないということもあります。

 

例えば、末期ガンで余命1ヶ月の家族がいたとします。

もっと生きてほしくて神社で長生きできるようにお願いしても、その願いは叶わないということも沢山あります。

というのも、現世を終わらせるというのはスピリチュアルの視点から見ると何も悪いことではありませんし、もし、その家族が亡くなるという経験をすることで、人として死んだ先のことを考えられる視野の広さを持てるようになれるなら、それは、あえて願いを叶えない方がその人のためになるのです。

 

このように、利己的な願いは論外でありますが、利他的な願いであっても必ずしも願いが叶うということではありません。

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神社へ行く理由

それでは、神社へはなぜ行くのでしょうか?

それは、日頃の感謝を伝えるためです。

霊界というのは常に、今の現世を生きる人々の一人一人、もっといってしまえば1匹1匹、木の一本一本、日々の天候から何から何まで全てにおいて、常に見守ってくれています。

そのような日常の中で、神社は霊界へのアンテナの役割もありますから、神社に行って日々の出来事に感謝を伝えるために行くことは初心を忘れないためにもとても大切なことです。

また、初心を忘れないということは傲慢にならずに謙虚に生きるということにも繋がってきますから、その行いもいいカルマとして必ず将来返ってきます。

神社に行かなくてもよい

中には、なかなか外に出られないという人もいると思います。

しかし、霊界は想いで全てが繋がっている世界になります。

ですから、必ず神社に行かなければいけないということでもなくて、自宅や病院などどこからでも神社をイメージして感謝の想いを伝えればそれだけで十分霊界に想いを届けることができます。

お守り効果

さて、よく神社に行くとお守りが売られていますね。

せいぜい1000円〜2000円で買えるお守りです。

このお守りの効果はあるのでしょうか?

これは効果があります。

それは、お守りだから効果があるということではなくて、相手のためにという思いで買ったお守りにはそこに心がこもります。

そして、その想いが相手の心を癒したり、力が沸いたりという効果を与えてくれます。

逆に、相手に対して憎しみの思いで買ったお守りには相手を癒すお守りではなく、なんとなく持っていて嫌な気持ちになったりという逆効果になってしまいます。

 

このように高いお守りを買えば幸せになれて、安いお守りでは効果がないということはなく、大切なことはそのお守りにどれだけ思いがこもっているかということがとても大切です。

ちなみに、その想いを悪用しようとすれば、その悪しきカルマも自分に返ってくるので幸せになりたいなら止めておきましょう。

神社でインスピレーション!

また、先ほどお伝えしたようにちゃんと神主が祀って管理されている神社は霊界へのアンテナの役割もあります。

このアンテナは霊界へ想いを届ける役割もありますが、逆に、霊界からメッセージを受け取りやすい場所にもなっています。

ですから、何か悩みごとなどがあった場合は、神社で悩み事について聞いてみてもいいです。

そうすると、きっとその内、通りかかった看板の文字やテレビの音声、ネットの情報などからフッと目に止まる言葉が頭に入ってくると思います。

その言葉は霊界からのメッセージになります。

そのメッセージを活用して悩み事に対して取り組んでみましょう。

きっと魂の成長に繋がる経験を得られます。

 

とはいえ、これも必ずしも神社に行かなければならないということでもなくて、その人自身の守護霊をイメージして悩み事を相談することでも同じようにメッセージを貰うことができます。

まとめ

神社で利己的な願いをしても叶わない。

もし、利己的な願いが楽して叶うならば、それは低級霊の憑依を疑うべき。

利他的な想いは霊界に届くが、魂の学びのために必ずしも願いが叶うとはならない。

お守りには想いを込めることで効果が発揮される。

高価だから効果が高いということではない。

悩み事があったら神社などでインスピレーションを高めて言葉をもらってみてもいいし、自身の守護霊をイメージして聞いてみてもアドバイスの言葉をもらえます。

 

 

 

 

 

スピリチュアルとお金〜お金持ちの暮らしは偉い?

人によってお金持ちは偉いという人がいますが、今回はお金について記事にしてみました。

お金持ちは偉くない

簡単な話しではありますが、お金持ちが偉いということはありません。

結局、どんなにそれっぽいことを言っても、お金で人の価値を図ることはできません。

中には、お金を沢山納税しているから偉いと言う人もいます。

それでは月20万から無けなしの3万、4万を納税する人は偉くないのでしょうか?

月20万から3万引かれれば、それだけで生活が苦しくなってしまいます。

それでもなんとか納税して生活している人々だって偉いのではないでしょうか?

また、逆に大金持ちで毎年数億円を納税している人が家庭では散々DVをしている人は偉いのでしょうか?

そんなことはありません。

このように、お金で人の価値を測ろうとすると矛盾というものが必ず出てきます。

結局、お金の量で人の価値は測ることはできません。

お金持ちと努力

とはいえ、お金を全否定している訳ではありません。

大体のお金持ちはまったく努力せずに金持ちになれたかというとそうではありません。

お金持ちになるためにも、それ相応の努力というのは必要になります。

また、お金を稼ぐということも悪いことではありません。

例えば月100万稼いだとして、そこから毎月30万円寄付したとします。

このような行いが良いか悪いかというと、これはとても良い行いですね。

実際問題、普通の年収で月30万円寄付するなんてことは出来ないわけです。

逆に、稼いだお金をただただ貯め込んで、1円でも人からむしり取る行いは良いとはいえません。

というのも、一部の人が100億、200億とお金を持ちすぎると、その分、100億、200億円分の貧困な家庭が増えてしまうのです。

住む家がない、着る洋服がない、食べ物もないという状態にさせてまで自分達だけが儲かろうとするのは本人は努力のつもりだとしても悪い行いなのです。

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お金で幸せは買えない

ここまで伝えてきたように、お金を稼ぐということは悪ではありません。

しかし、お金で幸せになることは絶対にできません。

結局、頑張って1億円稼いでも、さらに10億円、100億円と欲は止まることはありません。

そして、お金持ちが幸せなんだと言って実際に100億稼いだとしても、本人はきっと幸せにはなれないでしょう。

残念ながら、お金持ちになったとしても、今度はお金では解決できない問題が結局出てきます。

それでは、どのようにすれば幸せになれるのでしょう?

それは感謝です。

当たり前のように食べられる食事。

当たり前のような寝られる家。

当たり前のように着れる服。

当たり前のように動ける健康など。

当たり前のような幸せが実はもう既に沢山転がっているのです。

たったそれだけのことに気づけるだけで資産100億円持っているだけの人よりもずっと幸せになれるのです。

苦しいは楽しいこと

私たちは苦しみたくて現世にやってきています。

現世を生きれば必ず苦しい出来事や悲しい出来事は必ず起るでしょう。

しかし、それは不幸なことではなく現世でしか味わえない最高のアトラクションです。

現世は苦しくていいんです。

それは、腕を切り落として苦しめということではなく、私達はまだまだ未熟な魂です。

そして、その未熟な部分をより成長させたいと思って現世に降りてきて、苦しみや悲しみも含めた喜怒哀楽を通して成長することそのものが現世でしか味わえない最高の楽しみになります。

例えば、勉強して100点取ったら凄い嬉しくなると思います。

でも、その嬉しい感情は100点をただ取ったというだけではなくて、コツコツ勉強したことや我慢したことも含めて嬉しいのであって、毎日毎日、先生に紙を渡して100点って書いてもらって、その紙を100枚集めたところでまったく嬉しくないですよね。

人生はそれと同じで、喜怒哀楽すべてを経験して成長することそのものが楽しいことなんだよということを理解することで、きっとあなたの人生は幸せな方向に行けます。

苦しみとは楽しみであり、悲しみとは喜びであり、痛みとは快楽であるということを理解し、人生を楽しく生きていってみてはいかがでしょうか。