スピリチュアルのすすめ

スピリチュアリズムについて記事を書いてます。

優しい人は損をする?スピリチュアル

明らかな間違い

優しい人は損をするから優しくせずに言いたいことを言って、やりたいことをやればいいという考え方の人がいたりします。

結論から言うと、この考え方は間違っています。

というのも、優しい人は損をするから優しくせずに好き勝手やればいいというやり方は、実は優しい人がいるおかげでできるのです。

その優しい人を叩き潰して好きなように傲慢に生きていけば、そのうち周りに優しい人達はいなくなっていくでしょう。

そうするとどのようなことが起こるかというと、優しくなく身勝手に生きてきた人同士で騙し合い、奪い合いが始まります。

そして好き勝手やった方が幸せだと考えていた人も、結局、叩き潰されて苦しむことになります。

逆に皆んなが皆んなのことを考えて行動できれば、最終的には皆んなが幸せになれるということを考えるとどう考えても、優しい人でいた方が幸せになれるわけです。

無知に翻弄されない

とはいえ、そのような知識がないと、どうしても優しい人は損だと考えてしまいがちですし、実際にウソや屁理屈でやっていないことをやっていると言い、思ってもいないことを思っていると騙そうとする人も残念ながらいます。

例えば、維新の某代表がいますが、彼は万博の工事が能登地震の復興の妨げになるなら復興を優先すると言っていました。

そして、現在、万博の水道工事と能登の水道工事の復興が取り合いになってしまっています。

もし、維新の馬場の発言が本心からくるものであるならば、万博を延期するのが妥当だと思いますが。当然、延期することもなく万博の工事を進めています。

なんのかんのと屁理屈を並べていますが、結局、能登の生活よりも自分が大切というのが本心なんだと私は思います。

とはいえ、これは騙そうとしている人を恨んだり憎しめということではなくて、きっと騙そうとしている本人自身が幼く無知であるが故に意外と悪気もなかったりすることも多いのです。

ですから、身勝手に生きている人を恨むのではなくて、先ほど述べたように身勝手に行動されても最終的に皆んなが不幸になるわけですから、相手にとっては耳が痛い話しですが、そのような人に対しては明確に間違っていると伝えなければなりません。

相手のウソや屁理屈を見分ける方法

相手のウソや屁理屈を見分けるもっとも簡単な方法は、自分自身が善で生きることがとても大切です。

自分自身が善として生きるようになると、周りの身勝手な悪の心に違和感を感じ取れるようになります。

とはいっても、当の本人は自分が悪だなんて思っていないことも多く、「私が正しい!」「これが普通だ!」という想いや嫉妬から出ている間違った悪い行いというのも無知であるが故に意外とよくあります。

善と悪の定義については、以前記事にさせていただいた善悪の判断!これで簡単解決! - スピリチュアルのすすめ

に詳しく書かせていただきましたが、つまるところ、善とは幸せであり楽になります。

逆に、悪とは不幸であり苦しみになります。

この善悪の定義をしっかり理解して日常生活に全てを取り入れて生活を送ることで、相手の悪に敏感に気づけるようになれます。

悪への対処法

優しい人というのは寛容な人も多いと思うので、悪い意味で悪に対しても寛容になってしまう場合があります。

しかし、これは完全に間違った判断です。

例えば、長蛇の列に並んでいて、自分の目の前に人が割り込んできたとします。

いうて1人だけなら大差もないですし、気にならない人もいるかもしれません。

しかし、実際は後ろの人皆んなに迷惑がかかりますし、それを見ていた人が別の所で真似し始めてしまうかもしれません。

そうなると結果として、そこら中で割り込みが発生してしまってケンカになったり、混乱で倒れて怪我をしてしまい、皆んなが嫌な思いをすることになってしまうかもしれません。

ですから悪の心は許さない方がみんなが幸せになれます。

まとめ

優しい人は損をするから身勝手に生きた方がいいというのは最終的に不幸になるので間違った考え方。

逆に、無知という悪が蔓延すると皆んなが不幸になってしまうので、優しさ故に悪は許してはならないのです。

 

 

 

偽スピリチュアルは不幸のもと

世の中には偽スピリチュアルや、やばい宗教がたくさんありますね。

今回はそんな偽物について記事にしてみました。

偽スピリチュアルは不幸の始まり

YouTubeTikTokなどでスピリチュアルと検索すると、非常に多くの人が顔出しで動画配信をしていたりしますね。

しかし、人気のあるなしに関わらずほとんどの人は偽物です。

そして、偽物の言われた通りに実践すると必ず最終的には不幸になってしまいます。

そうならないために今回は、そんな偽霊能者がよく使う言葉をいくつかまとめてみました。

1、アセンション(次元上昇)

まず、アセンションを言っている人はみんな間違いなく偽物です。

アセンション詐欺に気をつけろ! - スピリチュアルのすすめ

こちらの記事にも書いたようにアセンションは完全に詐欺です。

アセンションは2012年に終わり、さらに2021年にもありました。

どうやら次は2030年頃らしいですが勿論アセンションが起こるということは命をかけてありません。

また、アセンション自体が嘘なわけですから、言うこともコロコロ変わっていきます。

アセンションと言っている人の言葉は絶対に信じてはいけません。

おそらく霊能力もないでしょうし、あったとしても低級霊によるものなので幸せになることはありません。

さらに、最近はアセンションの言葉を変えて5次元的な考え方というふうに言う人もいますが、これも詰まるところ私は嘘つきですというサインなので信じないようにしましょう。

2、引き寄せの法則

想っただけで願いが叶う〜系の人も全て偽物の詐欺師です。

普通に考えればわかりますが、そんな簡単に宝くじも夢も叶いません笑笑

しかし、正しい意味で引き寄せの法則はあります。

それは、楽して大金や結婚など幸せを得ましょうというものではなくて、引き寄せとは努力です

努力による念の力で引き寄せるのではなく、夢や目標を掴み取るようにしましょう

3、龍神が〜の方々

最近は龍神が流行っているようで、龍神が幸せにしてくれるというような動画がよくありますが、そんなことはありえません。

もし、起こるとするならば、それも低級霊によるイタズラだと思った方がいいです。

残念ながら正負の法則によって楽して幸せを得たら、その反対もまたやってくるのです。

しかし、正しくは支配霊として龍神が守護している場合はあります。

とはいえ龍神がいいというわけではなく、それぞれの魂の成長に繋がるサポートとして、龍神系、天狗系、稲荷系、弁天系という大きく分けて4種類の支配霊が見守ってくれています。

4、この動画を見たらいいことが起こる系の動画

まず、普通はいいことは起こりません。

逆に、もし良いことが起こったならば、それは低級霊による憑依の可能性があるので要注意です。

いいことが起こってしまった人は、むしろ善悪の分別をちゃんとつけて規則正しい生活を心がけるようにしなければ、後々、不幸になってしまいます。

5、やたら予言をしてる

なぜか毎週のようにどうでもいい予言をしている人もいますよね。

その人々に霊能力があるのかないのかは別として、そんな予言はまったくの無意味です。

私たちは、魂を成長させるために現世にやってきました。

魂を成長させるというのは、カルマの解消でもあります。

仮に、予言がめちゃくちゃ当たって、ひたすらカルマから逃げていたら霊界に帰った時にどうなるでしょうか?

現世のやるべき課題を放置して霊界に帰るわけですから、きっと本人は大きな後悔となってしまうと思います。

そんな霊能者は本物とはいえないと私は思います。

とはいえ、予言もすべてが悪い訳ではなく、人類のためであったり、全ての生き物が「このままだとより悪い方向に行ってしまうから軌道修正した方がいいですよ」というような予言は悪いものではありません。

偽霊能者に共通すること

偽霊能者に共通することは、必ずお金や結婚、健康など現世利益を謳い文句にしています

もちろん、お金や健康も大事ですが、それ以上にスピリチュアリズムの視点で物事を見れば、世の中には必要なことしか起きないということが理解できます。

ですから、お金に関して悩みがあるなら、そこから何かを得られる学びがあるということですし、不健康ならばそれはそれで学びがあるんだということが理解できますよね。

そして、それを克服するまでの過程も本当は楽しいわけです。

そんな楽しみを奪う偽霊能者はいらないのです。

幸せに生きるために必要なこと

真理に生きることが幸せにつながる - スピリチュアルのすすめ

の記事でも書かせていただきましてが、幸せに生きるために必要なことは真理に生きることがとても大切です。

偽霊能者のように真理を歪めてしまうと幸せになることはありえません。

ぜひ、スピリチュアリズムの霊的真理を日常の生活の中に取り入れて幸せになってくれたら幸いです!

 

利他愛とは?利他と利己の違い

利他愛とは?

利他愛とは、自分を中心に考えるのではなく、見返りを求めず、人の幸せを願った行いをいいます。

そして、利他的の逆は利己的となります。

利己的とは、自分のことだけを考えて行動するという意味になります。

この利己的な考え方とは、スピリチュアルと真逆の考え方でありよくありません。

なぜ利己的な考えはいけないのか?

利己的に生きるとは、すなわち自分中心に生きるということになってしまいます。

「自分さえ儲かれば他の人がそのあとどうなろうが関係ない。」

「周りの人間が不幸になっても儲かればそれでいい」

このような考え方では必ず最後にはその人自身に不幸が返ってくることになります。

例えば、これまでの歴史を見ていくと、自分さえよければそれでいいという国家で長持ちしたという歴史はありません。

一見、利己的で傲慢な人が社会的な成功を得ていることはよくありますが、最終的には破滅が待っています。

また、一見、社会的に成功しているようでも、実際の心の中を見ると幸せでないこともよくあります。

利己的な人は人の心を理解しようとしないが故にどんなにお金があってついて来てくれる人がいたとしても、それはお金があるからというだけで、実は相手も自分の利益になるからついて来ているという利己的であったりする場合も普通にあるわけです。

それは、金の切れ目が縁の切れ目というように、とても寂しいものではないでしょうか。

利他愛が大切

利他愛に生きると必ず幸せになれます。

利他愛という言葉をイメージできない場合は思いやりという言葉に変えると分かりやすいかもしれません。

思いやりを持てば必ず良好な人間関係ができます。

良好な人間関係が得られれば、お金の繋がりとは別に、楽しく話しができたり、沢山経験ができたりというふうに楽しいことも沢山あります。

逆に、利己的に生きていても友人というのはできます。

しかし、そのような繋がりは結局は争いに変わり、分裂して理解できないというふうに終わってしまいます。

誰だって争いなんてしたくないと思います。

しかし、その争いは実は利己的な自分自身によって引き起こしているともいえてしまうのです。

このように、一見、利己的生きた方が幸せそうに見えるかもしれないですが、それでは争い続きで幸せにはなれないのです。

例外の場合

たまに、自分ではわがまま言っているつもりはないけど自己中だというふうに言われてしまう人もいます。

それは自己中ではなく、現世で人の気持ちを人一倍考えてみましょうという課題であったりすることもあるので、そのような人は思いやりがないということではないので心配しなくても大丈夫です。

利他愛とは優しさであり厳しさ

利他愛とは、相手を思う心になります。

なので、時には優しく、また時に相手のためになっていないと思うのであるならば、厳しくすることも利他愛といえます

とはいえ、この厳しさも怒鳴り散らすのではなく、あくまで相手のための行動でなければいけません。

ですから、相手に伝える時は「〇〇は××だからこうだよね?あなたのやってることはおかしくないですか?」というふうに相手が自分で考えて答えを得ることが大切だというふうに私は思います。

もちろん、悪の心そのものは不幸を呼びますから相手のために許してはいけません。

善悪の判断

はて、ところで善悪とはなんでしょうか?

当然ながら、善悪の明確な判断ができなければ相手に対して正しく間違いを指摘することはできません。

下手をしたら、自分の中の想いを押し付けているだけということにもなりかねません。

善とは思いやり、理解する心、許す心など人のことを想う行動・言葉・想いになります。

逆に悪は、自分さえよければいいという身勝手な心、人への無理解、恨み辛みといった自分のことだけを想う行動・言葉・思いになります。

簡単!スピリチュアルな視点で見る善と悪とは - スピリチュアルのすすめ

こちらの記事で善悪について書かせていただきましたが、相手のために伝えるためには、自分自身で善悪の判断がつけて正しく伝えることがとても重要です。

そして、正しく伝えるためには知識だけではなく、自分自身が常日頃から善の行動をとらなければいけません。

そのような行動を伴わない言葉は、それはただの空想の机上の空論で意味のないただの言葉なのです。

利他愛とは最大の利己愛

記事の最初に見返りを求めないことが利他愛だというふうにお伝えさせていただきました。

しかし、もう少し深く説明をすると利他愛は利己愛でもあります。

例えば、利他愛として見返りは求めず、困っている人を助けたとします。

そして、その人が助かって、その助けられた思いから、今度は他の困っている人の手助けをしました。

そして巡り巡って自分が困っている時に助けてもらえたという「情けは人の為ならず」という言葉があるように、利他愛というのは相手のための幸せであって自分のための幸せでもあるのです。

今回の例は1人が1人を助けてというふうに説明させてもらいましたが、実際は1人が2人でも10人でも20人でもいいわけです。

みんながそれをやれば、世の中は一気によくなります。

そうならないのは、私たちにまだまだ自分さえよければいいという傲慢な考え方があるからなんだと思います。

しかし、そこから困った状態になった時に、そこから自分の傲慢さに気づくのもまたありがたい学びでもあります。

結論

幸せに生きたいなら利他愛に生きることが大切です。

利他愛に生きても見返りが返ってこないからやりたくないというのも傲慢です。

もし、自分が好き勝手、傍若無人に生きるなら周りの人に傍若無人の振る舞われても自分と同じ行いをしている訳ですから褒め称えるべきです。

しかし、それでは幸せにはなれません。

結局、人が傲慢で生きれば生きるほど苦しい世の中で生きることになってしまうのです。

自分の幸せは自分で掴み取り困っている人がいたら助かる。

でも、どうしても自分が困ったら他の人に助けを求めるというようにしてみましょう。

 

 

 

 

 

 

 

守護霊の種類は?スピリチュアルから見た真実!

そもそも守護霊ってなに?

守護霊とは、私達1人1人に付いており、私たちの魂の成長のために人生を共に歩むパートナーといえます。

守護霊がいないひとはいない

よく守護霊がついていないという人がいますが、そのような人はいません。

守護霊は必ず全ての人についています。

守護霊の種類

ここまで、簡単に守護霊について説明させていただきました。

実は、そんな守護霊ですが、この守護霊にも種類があります。

今回は、その守護霊の種類について説明していきますね。

主護霊(しゅごれい)

この主護霊は、現世に生まれてくる前、現世、さらにあの世に帰った後も霊界に帰るまでずっと見守ってくれる存在です。

この主護霊は、私自身といえるほど本人と似ています。

指導霊

指導霊は職業や技能を司り、現世を生きる人はこの指導例の影響を大きく受けます。

例えば、料理人には料理人の指導霊がついていたり、大工には大工の指導霊がついているということがよくあります。

そして、この指導霊は人によっては複数人ついていることもあります。

これは、人の器によって変わり、より人のために頑張っている人には、さらにその人を応援したい指導霊が力を貸してくれることもあります。

また、守護霊が指導霊の代わりであることもあります。

しかし、指導霊の数が多ければいいというわけではなく、その人の役割によって指導霊がついてくれます。

支配霊

支配霊は、自然霊であることが多いですが、人霊であることもあります。

そんな支配霊は、私達の人生の10年以上先までの未来を瞬時に見渡すことができます。

そして、私達が最も魂の成長に繋がるように、人との縁だったり、就職先、結婚、土地、環境へ導いてもらえます。

縁と聞くといい縁思い浮かぶと思いますが、これは悪縁も含みます。

例えば、気が合わない人とも出会うことというのはよくあると思いますが、このような嫌な縁も支配霊の導きといえます。

私たちは魂の成長のために生まれてきていて、さらに、相手は自分の鏡ですから、気が合わないということ関わって、自分の未熟な部分を見せてもらうことで、更なる魂の成長に繋がれるありがたい縁になります。

そして、その良縁をよりよく長いものにするのかどうか、また、その悪縁を乗り越え成長できるかどうかは私達の選択になります。

なので、良縁をよりいいものに変えて、悪縁を成長に変え楽しく乗り越えていきましょう!

補助霊

補助霊は狭義の上では守護霊にはなりません。

この補助霊は私たちへのメッセージを伝えたいという時や、逆に、自分が生きていた頃にやり残していたことをやりきりたいという思いから補助してくれることもあります。

例えば、亡くなったおじいちゃんやおばあちゃんがこう言っているなんて霊能者が言う時がありますが、これは補助霊としてアドバイスをしてくれていることになります。

また、作りかけの作品を完結させるために、次にバトンタッチされた人に補助霊としてサポートしているということもあります。

このように、補助霊というのはどこまでが未浄化霊でどこまでが補助霊なのかの線引きが難しかったりします。

なので、未浄化霊なのか補助霊なのかというのは、大我が小我かで判断してもいいかもしれません。

正しい知識が必要

ここまで守護霊について解説させていただきました。

守護霊というと、意外と霊能者によって言っていることが違うことがあります。

ただの詐欺師は論外ですが、幽霊が見えている人でも守護霊の定義がバラバラだったりします。

今回、私が記事にした内容に関しては、スピリチュアリズムによる高級霊からの霊言や霊能者の証言などの統計の結果です。

なので、ぜひ正しい知識を持ち、日々、導かれていることを感じ、人生に活かしていってくれたら幸いです。

 

 

悪とは?悪は魅力的!

悪とは?

悪とは、自己中心的な心、理解しない心、許さず恨んだり憎んだりする心など自分さえよければいいという思いから出る利己的な行動・言葉・想いをいいます。

これらの行いは必ずトラブルを作り出し、最終的に苦しむ不幸への道になります。

また、そのような苦しむことを理解せずに悪の行為をしてしまうので、悪とは無智や苦しみともいえます。

簡単!スピリチュアルな視点で見る善と悪とは - スピリチュアルのすすめ

でも、詳しく記事にさせていただきましたので、もし興味があったら読んでいただけたらなと思います。

悪とは一見魅力的

悪というと物を盗んだり嘘ついたりということをイメージしますね。

一見、悪というと避けて通りたいものですが、悪というのは、実は一見、魅力的であることがよくあります。

例えば、万引き、恫喝、身勝手なウソ、裏切り、隠蔽など、楽して目先の利益を得ようとすると悪いことが浮かぶことも多かったりします。

悪と物質的価値観

物質的価値観

お店で欲しい商品があった場合、盗んでしまうのが一番楽ですよね。

そして、その欲しい商品を万引きした場合どうなると思いますか?

おそらく、多くの人が一番最初に思いつくのが逮捕される心配だと思います。

実は、この考え方が落とし穴で逮捕されるからやらないというのは現世的な物質的価値観だったりしむす。

本質を見る必要がある

もちろん逮捕も抑止力にはなります。

しかし、逆に言ってしまうと、逮捕されなければやるということにもなってしまうわけです。

そうではなく、1人が万引きを始めると他の人も釣られて万引きを始める人がいます。

さらに、その万引きした人に釣られて、さらに他の人が万引きを始めます。

そうすると、お店そのものがやっていけないのでお店が潰れまいます。

すると結果として、本当に買い物が必要な時に身近にお店が無くなり困ってしまうことになります。

それどころか、万引きに釣られて悪いことを始める人というのは万引きだけに限りません。

万引きという未熟な心に釣られて、ウソをつくようになったり、簡単に人を騙したり、さらには恫喝やストーカーなど、どんどん悪い方向に流されるようになってしまい、そのうち、万引きしていい思いをしているつまりだった人も、そのうち騙される側になるでしょう。

その結果、万引きという一時的な快楽のために、必要なお店も安全な治安も悪化させてしまうわけです。

これは万引きだけに限りません。

残念ながら、ちょっとした嫌がらせや恨む心から始まることも普通にありえるのです。

すなわち、身勝手に生きるということは逮捕されるからという問題以上に、実は自分自身も、大切な人も、みんなを不幸への道へと進ませているということがいえるわけです。

このように善悪の本質は、逮捕されるからということではなく、身勝手な行動をすると結果としてみんなも自分も不幸になるということを理解することが必要になります。

悪の退治!

また、このように、悪というのは実は身近に潜んでいて、ちょっとしたことで未熟な悪い自分が表に出てきてしまうことがよくあります。

そこに気をつけて日頃からの日常を過ごすことで、結果的に自分もみんなも幸せになれるようになります。

ぜひ、皆さんも日常に参考になったらなと思います。

自殺と霊。自殺とは苦しみだ!

自殺したいほど苦しい。

でも、自殺は怖い。

自殺したらどこに行くんだろう。

そんなことを記事にしてみました。

自殺するとどうなる

結論から言ってしまうと成仏できません。

スピリチュアルから見た生まれ変わりの流れ - スピリチュアルのすすめ

の記事でも書きましたが、本来、人は現世を卒業すると幽霊の姿になって大体49日間の間はここの現世と成仏したときに行く幽界の間である幽現界にしばらくいることになります。

その後、お世話になった人に挨拶が一通り終わって未練も無くなると幽界という世界へ移動していきます。

この幽界へ移行したときが現世の言葉でいうと成仏になります。

 

しかし、私たちが現世に旅立ってきた理由は魂の成長です。

それを放棄して自ら自殺をしてしまうということは、学校で例えると、卒業の前日に学校を中退するのと残念ながら同じようなものです。

中退するということは、また4月から学校に通って同じように勉強して、同じように1年間学校に通わなければいけません。

きっと、多くの人は後悔するでしょう。

それと同じように、自殺した魂は生まれてくる前の記憶もすべて思い出すことになります。

そこで、取り返しのつかないことをしまったという後悔が未練になってしまい未浄化霊として現世に止まってしまいます。

死んでも楽にはならない

さて、未練を残して未浄化霊となった自殺した魂はどうなるでしょうか。

自殺した霊には2つのパターンがあります。

1つ目は、自分が死んだことに気づかず、何度も何度もひたすら自殺を繰り返し続ける霊になります。

残念ながら死ねば楽になれると思っていたのに、なかなか死ねずに何度も自殺を繰り返し苦しんでしまうことになります。

2つ目は、大きな後悔によって自らが真っ暗な暗い空間に閉じこもって、取り返しのつかないことをしてしまったとひたすら後悔をし続けます。

しかし、どんなに後悔しても生き返ることは残念ながらできないのです。

そして、あの世の世界では時間の概念がないため,そうこうしているうちに気づいたら100年経っていたということも普通にあるのです。

しかし、そのような魂も自らがこのままではダメだと気づき数年、数十年、数百年かけて自ら立ち直り幽界へと進んでいきます。

自殺した魂の生まれ変わり

自殺した魂もついに幽界へ行き、そこからさらに浄化が進み霊界へと進みます。

そして、様々な生まれ変わる準備をしてから現世に再び誕生します。

しかし、前世での自殺したときの計画が終わっていないため、前世での自殺した年までは、これまで経験したことと同じような楽しいことも嫌なことも経験しながら成長していきます。

そして、いよいよ前世で自殺した年齢に差し掛かってからが、ようやく再スタートとなれるのです。

自殺は苦しみへの道

このように、自殺すると長い苦しみの後にもう一度生まれ変わり、現世を何十年と生きてからようやく再スタートができるようになります。

その間の数百年という時間がかかってしまいます。

ですから自殺とは、残念ながら楽になるどころかより苦しむ道であり、もう一度、何十年と現世をやり直さなければいけない大変な道なのです。

であるならば、今、死にたいほど苦しくともなんとか踏ん張って生き抜いた方が絶対に楽なのです。

 

身内で自殺が出てしまった場合

身内で自殺者が出てしまう場合もあります。

そのような場合について解説させて頂きます。

身内が自殺して亡くなってしまった場合、残念ながら現世に留まってしまって、先程言ったように1人で後悔し続けていたり、自殺を繰り返していたりします。

私達には、その姿というのは見えませんがあの世というのは想いの世界になります。

ですから、たとえ姿が見えずとも現世を生きている私達から相手へ想いが届けることができます。

なので、もし、身内で自殺した人がいて成仏しているか心配ということであれば、どのような場所でも構わないので相手をイメージして「あなたはもう亡くなったんだよ。もし成仏してなかったら頑張って成仏してね。」というふうに、言葉を出せれば出して、出さなければ念じてその想いを届けるようにしてみましょう。

そういった想いは相手にしっかり届くので、立ち直る励みとなります。

すべての自殺が自殺というわけではない

一見、自殺のように見えてもそれは自殺でない場合もあります。

例えば、戦前の時代というのは相手に捕まるくらいなら自死しろと言われて育ってきていたりもします。

そのような場合は、今すぐ逃げたいという思いではなく、死にたくないけど死なざるおえなかったという自死になるため死んでもそのまま未練を残して現世に留まるということはありません。

こちらも動機が大切になります。

痛い、辛い、苦しいという思いで自殺してしまう場合は楽になることはありません。

生きなければならないのです。

自殺も学びになる(自殺していいわけではない)

自殺は余計苦しくなるのでオススメしません。

しかし、自殺した魂は来世では絶対に生き抜こうと思い生まれ変わってきます。

ですので、そういった魂は次は自殺せずに生き抜くことができます。

そう考えると前世での自殺によって高い代償を払ったものの生き抜くことの重要性を学べたという智恵がついたともいえます。

そして、すごく遠回りになってしまいますが、そこから学び無智を智に変えられた魂の成長ともいえるわけです。

これは、自殺したら楽になるとか、自殺していいということではなくて、自殺も障害もイジメも借金も離婚も病気もすべては学びだということを理解してくれたらと思います。

まとめ

自殺しても楽にはならず、むしろ余計苦しみと後悔で余計苦しくなってしまう。

身内で自殺した人がいる場合は、想いを届けることができる。

自死させられた場合は自殺にはならない。

 

 

 

 

スピリチュアルと子育て!親を選んでくる理由

魂は家族を選んで生まれてくる

私たちは、親やお兄ちゃんやお姉ちゃんを選んで生まれてきています。

さらに、家族によっては自分の後に生まれてくる弟や妹もある程度計画されて生まれてきています。

そして、私たちが現世に生まれて最初の学びが家族となります。

ここから、自分で選んだ家族と共に生活することで、魂の学びの旅が始まっていきます。

家族でも魂は別

家族というと、みんなが何かしら繋がりがあるように思いますが、実はそうではありません。

家族でも家族のみんなが同じ霊性で、同じ性格であるということではないのです。

ですが、性格が似ているということはよくあります。

それは、家族で似たカルマを持っているからです。

そして、家族の性格が似るということは、親ゆ兄弟という鏡を見て自分の未熟な部分をそのまま自分の鏡として見るということで、自分の未熟な部分を改善させてくれるありがたい存在といえるのです。

自分の未熟な部分を改善する役割であったり、家族全体で似たようなカルマを持っているため、それを解消する役割も持っているためです。

また、家族全体のカルマを解消する使命を持った魂もいます。

そのような魂は、自分以外の魂のために働く使命もあるのでより崇高な魂といえます。

しかし、それは特別ということではなく、それぞれの魂が自分の器をより大きくするために、みんなが平等に努力をし人生を懸命に生きているので悦に浸ることではありません。

大事なことは人のために生きることなのです。

家族なのに全然性格が違う

また、逆に家族なのに性格が真逆という子もよくいたりしますね。

これは、先ほど家族をそのまま自分の鏡として見ることで、自分の未熟な部分を改善していくという「カルマの解消」の意味があるとお伝えさせていただきました。

これと同じように、自分と真逆の性格の家族を見ることで、相手を理解する力や相手の尊敬できる部分を参考にして自分の未熟な部分のカルマの解消に繋げるという意味もあります。

双子でも魂は別

双子の場合も、性格や容姿が凄い似ていたりすることもありますが、こちらも魂自体は別になります。

とはいえ、双子として生まれてきたことにも意味があり、魂ごとに学びは変わってきますが、共通する部分もあります。

それは、双子として生まれてくるということは、同じ環境で育ち、同じ食べ物を食べ、同じ学校で生活をするということになります。

そのため現世では、人との絆を学ぶことや自分を鏡をよりはっきり見たいという意味があります。

そして、それが自らの魂のカルマの解消に繋がるということを理解して選んで生まれてきたのです。