明らかな間違い
優しい人は損をするから優しくせずに言いたいことを言って、やりたいことをやればいいという考え方の人がいたりします。
結論から言うと、この考え方は間違っています。
というのも、優しい人は損をするから優しくせずに好き勝手やればいいというやり方は、実は優しい人がいるおかげでできるのです。
その優しい人を叩き潰して好きなように傲慢に生きていけば、そのうち周りに優しい人達はいなくなっていくでしょう。
そうするとどのようなことが起こるかというと、優しくなく身勝手に生きてきた人同士で騙し合い、奪い合いが始まります。
そして好き勝手やった方が幸せだと考えていた人も、結局、叩き潰されて苦しむことになります。
逆に皆んなが皆んなのことを考えて行動できれば、最終的には皆んなが幸せになれるということを考えるとどう考えても、優しい人でいた方が幸せになれるわけです。
無知に翻弄されない
とはいえ、そのような知識がないと、どうしても優しい人は損だと考えてしまいがちですし、実際にウソや屁理屈でやっていないことをやっていると言い、思ってもいないことを思っていると騙そうとする人も残念ながらいます。
例えば、維新の某代表がいますが、彼は万博の工事が能登地震の復興の妨げになるなら復興を優先すると言っていました。
そして、現在、万博の水道工事と能登の水道工事の復興が取り合いになってしまっています。
もし、維新の馬場の発言が本心からくるものであるならば、万博を延期するのが妥当だと思いますが。当然、延期することもなく万博の工事を進めています。
なんのかんのと屁理屈を並べていますが、結局、能登の生活よりも自分が大切というのが本心なんだと私は思います。
とはいえ、これは騙そうとしている人を恨んだり憎しめということではなくて、きっと騙そうとしている本人自身が幼く無知であるが故に意外と悪気もなかったりすることも多いのです。
ですから、身勝手に生きている人を恨むのではなくて、先ほど述べたように身勝手に行動されても最終的に皆んなが不幸になるわけですから、相手にとっては耳が痛い話しですが、そのような人に対しては明確に間違っていると伝えなければなりません。
相手のウソや屁理屈を見分ける方法
相手のウソや屁理屈を見分けるもっとも簡単な方法は、自分自身が善で生きることがとても大切です。
自分自身が善として生きるようになると、周りの身勝手な悪の心に違和感を感じ取れるようになります。
とはいっても、当の本人は自分が悪だなんて思っていないことも多く、「私が正しい!」「これが普通だ!」という想いや嫉妬から出ている間違った悪い行いというのも無知であるが故に意外とよくあります。
善と悪の定義については、以前記事にさせていただいた善悪の判断!これで簡単解決! - スピリチュアルのすすめ
に詳しく書かせていただきましたが、つまるところ、善とは幸せであり楽になります。
逆に、悪とは不幸であり苦しみになります。
この善悪の定義をしっかり理解して日常生活に全てを取り入れて生活を送ることで、相手の悪に敏感に気づけるようになれます。
悪への対処法
優しい人というのは寛容な人も多いと思うので、悪い意味で悪に対しても寛容になってしまう場合があります。
しかし、これは完全に間違った判断です。
例えば、長蛇の列に並んでいて、自分の目の前に人が割り込んできたとします。
いうて1人だけなら大差もないですし、気にならない人もいるかもしれません。
しかし、実際は後ろの人皆んなに迷惑がかかりますし、それを見ていた人が別の所で真似し始めてしまうかもしれません。
そうなると結果として、そこら中で割り込みが発生してしまってケンカになったり、混乱で倒れて怪我をしてしまい、皆んなが嫌な思いをすることになってしまうかもしれません。
ですから悪の心は許さない方がみんなが幸せになれます。
まとめ
優しい人は損をするから身勝手に生きた方がいいというのは最終的に不幸になるので間違った考え方。
逆に、無知という悪が蔓延すると皆んなが不幸になってしまうので、優しさ故に悪は許してはならないのです。