スピリチュアルのすすめ

スピリチュアリズムについて記事を書いてます。

スピリチュアルと科学

スピリチュアルというとどうしても非科学的で怪しいものというイメージを持つ方もいるかと思います。

そこで、今回はスピリチュアリズムと科学について簡単に記事にしていこうと思います。

スピリチュアルとスピリチュアリズムの違い

スピリチュアルとは

スピリチュアルは主に目に見えないものだったり、占いなど科学で解明できないことをいいます。

もちろん、その中には怪しい人が沢山います。

スピリチュアリズムとは

こちらは目に見えない霊現象などの研究と霊媒の霊言によって導き出された霊訓を日常生活に活かし、より人生を豊かにするためのものになります。

スピリチュアリズムの始まり

1848年、アメリカのハイズビューという村にあった一軒家で霊と会話するというポルダーガイスト現象がありました。

そして、その霊と音で会話をした結果、チャールズロスナーという霊で、霊との会話によってその人物が殺されて地下に埋められていることが発見しました。

当然、勘で殺人時間が解決する訳もなく、この事件が話題となり、多くの有名な科学者によって、その原因を究明しようというところがスピリチュアリズムの始まりになります。

研究によって

様々な科学者によって研究された霊現象でした。

しかし、結局、解明はできずにトリックがあるということは証明されずに事件は終わりました。

様々な霊現象

その後も、霊現象の科学は続きエクトプラズムや、様々な霊視など科学的な研究は国家レベルでも行われていきます。

また、アメリカのリンカーン大統領も霊媒が霊を下ろし霊言を話す交霊会によく出席していたそうです。

シルバーバーチ

1920年高級霊といわれているシルバーバーチという霊がモーリスバーパネルに憑依し、霊言を話し出したことが当時とても有名となりました。

さまざまな不思議な現象

シルバーバーチが話し始めた頃は、霊言と物などが勝手に動く物理現象なども起きていたそうです。

しかし、そのような物理現象は霊を証明するための手段なので、年が経つごとにそのような物理現象は最終的にはなくなったそうです。

また、憑依している状態でも科学実験がされていて、シルバーバーチが憑依されている間は明らかに心拍数が変わっていたり、憑依している時に針で思いっきり刺しても憑依が解けた頃には傷は跡形もなくなっていたという記録があるそうです。

高級霊と低級自然霊

高級霊とは

そもそも、高級霊ってなんだろう?という方もいると思うので、高級霊についても解説させていただきますね。

高級霊とは、霊界にいるようなかなり浄化が進んでいる霊や、完全に浄化が進み既に現世に生まれ変わる必要がなくなった霊をいいます。

このような霊は、誰か人に指図するということもなく、現世の力になりたいという思いから自ら現世に降りてきて多くの真理を伝えてくれます。

高級霊は私が高級霊だと声高々に言うことはありません。

むしろ、私もあなたも変わらない存在なんだと伝えてくれます。

低級自然霊とは

低級自然霊とは現世に生まれてきたことない霊になります。

この低級自然霊は、まだまだ未熟なため争いや破壊などを好み、自分さえよければいいという思いを持っています。

しかし、この低級自然霊という存在も私たちと同じように成長しており、私たちが一生懸命目標や人の為に頑張っている姿も見ています。

そのような姿を見て低級自然霊も少しずつ成長し、最終的には高級自然霊へと進化していきます。

魂を否定する非科学な結論

これまでに、多くの魂に対する科学実験がされてきました。

それなのに、その研究結果を全く見ずに無いものは無いと全否定する人がいます。

それは、テーブルの上に置いてあるリンゴを「ないない!」と、言っているようなもので、まったく科学的ではないのです。

信じなくてもいい

とはいえ、まだまだ完全に解明されたわけではありません。

しかし、意外と霊訓くらいが丁度いいのかもしれません。

魂の存在が完全解明されると、あんまり霊界と変わらないように感じます。

それよりも、現世で別々の存在となり、皆んながワガママに生きて、未熟であるが故に傷つけ、傲慢な人が長寿となり、いい人が短命になるからこそ、幸せとはなんなのか?

なぜいい人ほど逆境に立たされるのか?

どのように生きることが大切なのかということを学ぶ機会をいただけているんだろうと感じています。

それは、つまるところ困っていたら助けたい、人の役に立ちたい、人のために生きたいという幸せに行き着くのかもしれません。

 

あなたが泣いているから私も悲しい。

あなたが苦しんでいるから私も苦しい。

あなたが元気になってくれたから私も元気になれる。

あなたが喜んでくれるから私も嬉しい。

意外とそれくらい簡単なものなんでしょうね。

 

 

 

 

スピリチュアルから見る自己責任論

最近、自己責任論というように全ては人生の全ては自分に責任があるという人がいたりします。

今回は、そこについて解説していこうと思います。

全ては自己責任

結論から伝えてしまうと、スピリチュアルな視点から見た時に、貧困や容姿や学歴や差別などなど、全てが自己責任といえます

しかし、スピリチュアルな視点で見ると巷で言われるような認識とは少し変わります。

巷で言われる自己責任論

巷では、「どんな恵まれない環境に生まれたって成功している人もいる。だから、成功しないあなたが悪いのだ」と言う人もいます。

しかし、現実問題として、親の年収が高いほど学歴は高くなる傾向にあり、学歴が高いほど年収が高くなる傾向があります。

さらに、まともに愛情持って育ててもらえなかったり、ひどいイジメなどで勉強まで手が回らなくなってしまったということもありますし、逆に、いじめっ子がそれなりの年収を得ていることもあるでしょう。

金持ち3代まで続き貧乏7代まで続くということわざがありますが、やはり、全てが自己責任というのはおかしな話しなんだろうと思います。

霊的視点の自己責任

スピリチュアルな視点で見た時にも自己責任はあります。

というよりかは、巷で言われている自己責任論よりもより過激といえます。

はっきり申し上げてしまうと、スピリチュアルの視点から見てみると、貧困や金持ちは勿論、貧困の家庭に生まれたことも、自分の容姿も、生まれ持った障害や、不慮の事故でさえも全てが自己責任といえます。

しかし、これは魂の視点から見てみると不幸ではないのです。

人はそれぞれの年齢に合った学びがある

この現世を生きていると、いじめっ子だった子が高い地位を得ていたり、自分のことしか考えていない人が金持ちになっていたりということはよくあります。

そういった人は、まだ、魂年齢が低いのでそれくらい優しい難易度でないと魂が耐えられないのです。

それは、恨んだり、自分が優秀なんだと悦に浸ることではなく、その人ごとに適した難易度というものがあるというだけの話しなのです。

また、魂年齢が高かろうが低かろうが、生きている以上は、それ相応の学びが必ずあります。

見た目では華やかで満たされていそうですが、実際の心の中ではボロボロであることもよくあるのです。

そして、厳しい言い方をしてしまいますが、魂年齢が大人だと自覚しているならば、そういった人を恨んだり見下したりするのではなく、大人が子供に伝えるように分かるように大人の視点で正しいとはなんなのかということを冷静に伝えて行動していくことが大事といえるでしょう。

全てを決めて生まれてくる

現世では、生まれた瞬間から金持ちの家庭に生まれる子もいれば、貧しい家庭に生まれる子もいます。

また、容姿が恵まれている子もいればそうでない子もいます。

生まれながらに障害のある子もいれば無い子もいます。

それらのことは、スピリチュアルな視点から見てみると全てが自己責任といえます。

もっと言ってしまうと、魂の成長のために自分でそのような姿や親や兄妹、ペット、時代など全てを選んで生まれてきたといえます。

私たちが魂の本質として学びたいことは、沢山の経験をして成長することです。

ということは、お金とか容姿がかっこいいとか可愛いなどそのもの自体はどうでもよくて、それどころか、貧しい家庭に生まれたら金持ちになる努力を通して沢山の経験を得られたり、容姿が悪いからこそ人の気持ちの本性を見せつけられて、人の本質を理解できるようになるといったとても大切な経験もできます。

さらに、生まれながらに障害があれば、その障害を通して、人の冷たさや暖かさなど多くの経験を得られます。

どうしても人は苦労の少ない人生を求めがちですが、魂の視点で見てみると、実はお金持ちになることやイケメンや可愛い恋人を作ることが幸せなのではなくて、多くの経験を通して人の冷酷さや暖かさに触れ、より多くのことを経験して人として成長することが幸せなのです。

もちろん、お金持ちならばお金持ちなりの視点、容姿が良ければ容姿がいいなりの視点から見て嫌なことやいいこともそれぞれ経験できるので、貧乏も金持ちも、可愛いも可愛くないも、障害のないことも障害のあることも全てが必要な経験なのです。

全ては自己責任論

真理の1つにカルマの法則があります。

これは、良いことをすればいいことが返ってきて、悪いことをすれば悪いことが返ってくるという絶対的な法則になります。

これは現世だけで終わるものではなく、現世でカルマが返ってこない場合は、残念ながら来世に返ってきます。

残念ながら、現世からいなくなっても魂がある以上、死に逃げはできないのです。

悪いカルマが返ってくるのは自分の責任

必ず生まれ変わりというものがあります。

悪いカルマが返ってくるということは真理に生きていないことが原因になります。

例えば、現世で金持ちで生きて、貧乏な人を見下して生き抜いたとします。

しかし、霊界に帰ると全ての過去の行いがアカシックレコードというところに記録されており、こそこから、これまでの行動を全てを見ることができます。

そこで、自分がどれだけ多くの人を傷つけたのかということをまざまざと見せつけられます。

霊界では、全ての魂が1つと理解していることが常識なのです。

ですから、人を傷つけるとは自分を傷つけるのと同じ愚かな行為だということが簡単に認識できます。

そこで霊界で反省することになります。

そして、より人の気持ちを理解できるようになりたいという本人の希望によって今度は貧困で差別される環境を選んで、来世では逆の立場で生まれ変わってくるのです。

逆のパターン

ここまでこわーい感じで書いてしまいましたが、勿論、その逆もあります。

それは、現世でとことん容姿に苦しみ、それでも生き抜いて色々経験した場合、今度はその逆で、容姿が良い人の気持ちがどんなものなのか知れるように、来世ではイケメンや可愛い女性として生まれてくることもよくあります。

そして、来世では容姿が良かろうが必ず幸せではないということを理解していきます。このように、金持ちと貧乏、良い容姿と悪い容姿、障害のあるなしなど、両方を経験することで更なる成長ができるようになります。

また、良きカルマの種を蒔けば、たとえ現世で返ってこなくても黒字で全てが返ってもくるのです。

理由は2つ

先ほど、金持ちで貧乏人を見下していた人は来世で貧乏や見下される環境を選んで生まれてくるということをお伝えしました。

が、実は、それとは別でもう一つ別の理由であえて苦しい環境を選んで生まれてくる魂というのもあります。

それは、魂年齢の高い魂とより沢山成長したいという勉強熱心な魂です。

魂年齢の高い魂は、現世での平凡な生活をしているようでは上手く生活ができてしまうため魂の学びにはなりません。

ですから、そのような魂はあえて難しい道を選び、多くの人を導く使命を持っていることもあります。

また、そのように多くの人を正しい方向に導くお役目をいただくということは、人を幸せにすることでもあり、それによって、自分も幸せになれるということを理解しているともいえるでしょう。

そして、より沢山成長してたいという勉強熱心な魂もあえて苦しい環境を選んで生まれてきます。

なので、そのような魂もあえて重い障害を持っていたり、大きな人生の壁が待ち構えていたりと、人一倍、喜怒哀楽を体験する人生にもなります。

日本も世界も未来も全てが自己責任

ここまで、ありとあらゆるものが自分で選んできたものなんだよということをお伝えさせていただきました。

それは、今現在の現世においてもいえます。

今、皆さんが自分のためだけに生きることも、人のために生きることも自己責任なのです。

これからの人生も日本の未来も世界の未来もすべてが自己責任なのです。

みんなが身勝手に生きていれば必ず戦争になるでしょう。

みんなで思いやりを持てば調和が生まれてより良い世界に変わります。

これまでに起こったこと社会のことの全てが自己責任であり、これから起こることも全てが自己責任なのです。

皆さんは、将来、どのような世の中で生活していきたいですか?

結局、あいつが悪いと人のせいにしているうちは世の中はよくなりません。

それも自己責任なのです。

どんな悪魔のようや人でも、そのような人を作り出した自分にも責任があり、また、そのような人格を作らないために私が何ができるかを考えて行動することが必ず必要なのです。

 

 

 

スピリチュアルの神様とは

今回はスピリチュアリズムにおける神様についてお話しさせて頂きます。

スピリチュアリズムの視点で見る神とは?

神とは、摂理であり、真理であり、叡智であり、愛そのものと定義されています。

私は神だ

私も神です。

神様というと、みなさんはどのような姿をイメージしますか?

白髭を生やしている人や仏様のようなイメージを持つ人も多いのではないでしょうか?

しかし、スピリチュアルからの視点で見た神とは人間の形をしたものではありません。

神とは、摂理そのもの、真理そのもの、叡智そのもの、愛そのものと定義されています。

そして、それは全ての生き物や物にも含まれており、存在する全てのものに神が宿っています。

ですから、当然ながら私も神であり、このブログを読んでいただいている皆様も同じ神なのです

神もまた未熟である

先ほど、私たちはみんな神様だとお話しさせていただきました。

神様とは完全無欠のなんでもできる無敵の人というイメージがあります。

しかし、同じ神である私達は毎日毎日失敗を繰り返したり、下手をすれば悪意を持って相手を傷つけてしまう場合もありますよね。

それなのに、なんで私達が神なんだろうと不思議に思う方もいるかもしれません。

しかし、実は、神というのは完璧な存在ではなく、未熟な部分を持っており、より完璧に近づくために神もまた、日夜、成長しています。

そして、その神の未熟な表現が私達の過ちなのです。

神を見る

最初に、神の定義として、神は、摂理であり、真理であり、叡智であり、真理そのものだということをお伝えさせていただきました。

この定義だとなかなかイメージしにくい部分がありますが、私達自身が神様であるように、すぐ目の前で見ることができます。

それは、季節によって変わる葉っぱ一枚一枚の変化、そして、時が経ち木からヒラヒラと落ちる葉っぱ一枚一枚とその動き、風でなびく海の波や自然の動き。

これら一つ一つに、神の摂理が働いています。

そして、親が子を思うように見返りを求めず、ただただ相手の幸せのための行為にも、神そのものの愛なのです。

そして、それら一つ一つの表現が神そのものだといえるのです。

ですから、嬉しいことも悲しいことも、良い行いも悪い行いも、実は、すべて神に見られており、それがそのまま法則として、後々の結果として現れるのわけです。

神とは大事にするもの

ここまでスピリチュアルの視点から見た神について解説させていただきました。

最後に、私達は神であるが故に私達は神らしい存在として周りの人々、動物、植物、鉱物、全ての物を神として大事に扱い、神として敬い、神らしい行動をとらなければいけません。

そのためには、自分さえよければいいという未熟な神の部分は捨てなければいけません。

そして、そのような利己的な物を捨てれば捨てるほど完璧に近づき、幸せになれるのです。

 

 

 

 

 

スピリチュアルな視点で見たカルマとは?

皆さんはカルマという言葉を聞いたことはありますか?

人によっては、初耳という方もいると思いますが、スピリチュアルな視点で見た時に非常に重要で役に立つこのカルマについて細かくお話しさせていただきますね。

カルマって何?

カルマとは良いことをすれば良いことが返ってきて、悪いことをすれば悪いことが返ってくるという法則をいいます。

カルマって本当にあるの?

この良いことをしたら良いことが返ってきて、悪いことをしたら悪いことが返ってくるというカルマの法則ですが、もしかしたら、人によっては信じられない人もいるかも知れませんね。

というのも、残念ながら世の中には、凄いいい人なのに凄い苦労をしていて、逆に、傍若無人で自分のことしか考えていないような人が裕福になっているということがあるからではないでしょうか?

確かに、いい人ほど苦しんで、未熟な人ほど裕福というのはあります。

しかし、見た目が幸せそうだから心も幸せかというとそうではなく、実は意外と心の中は、誰からも理解されずに人間関係がボロボロで苦しんでいたりすることもよくあります。

どんなにお金や学歴や大きな家など、目に見えるもので幸せになろうとしても残念ながら幸せにはなれません。

というよりかは、幸せになれていないから、もしかしたら、そういったもので自分の存在価値を見つけ出そうとしたいるのかもしれません。

カルマは必ず返ってくる

良い行いをしても、悪い行いをしても、そのカルマは必ず返ってきます。

しかし、そのカルマはすぐに返ってくるのではなく、数日から数十年単位の時間差で返ってきたりもします。

例えば、災害などが起きた時に見返りを求めず寄付したとします。

寄付ですから、何も見返りというものは返ってきませんが、霊界はそれを全て見ています。

なので、経済的に困った時にお金として臨時収入が入ってくるということでカルマが返ってくることもあれば、また違うタイミングで、その人に必要な人と出会わせてもらえるという風に良いカルマが返ってくることもあります。

ですから、何か良いことが起きた場合というのは実は偶然のように思えて、それまでに行なった良いカルマの結果ということもよくあります。

これと同じように、逆に、常日頃から悪い行いをしていると、事故に巻き込まれたり、誰かに見捨てられるというふうに悪いカルマが返ってきてしまうのです。

このように、カルマというのは良いカルマも悪いカルマもすぐに返ってくるわけではなく、長い時間差があったり、別の形で返ってくることもよくあります。

カルマは来世まで続く

また、散々現世で悪いことをしておいて、ある日、事故に巻き込まれて霊界に戻る場合でもカルマは法則によって返ってきます

そのような場合は、残念ながら来世に現世で行った悪いカルマが返ってくるようになってしまっています。

ですから、できる限り現世で沢山いい行いをして、悪いカルマを作らないようにすることが来世、ひいては永遠の幸せになることができるのです。

カルマは罰ではない

ここまで、カルマについて怖いこともかいてしまいましたが、しかし、カルマというのは罰ではありません。

少し話が逸れてしまいますが、私たちは、魂の成長のために現世に生まれてきますが、生まれてくる前の霊界にいる時に、どのような自分の未熟な部分(カルマ)を改善して成長していこうという計画を立てて生まれてきます。

そして、現世を生き抜く中で様々な選択に迫られることになります。

そんな中で、ある時にはきっと悪い判断や行いをしてしまう時もきっとあります。

そうすると悪いカルマが返ってきます。

しかし、悪いカルマが返ってくるというのは、「それ判断を間違っていますよ。悪いカルマを作らないように行動を変えて行かなければいけませんよ。」という霊界からの愛あるメッセージなのです。

ですから、悪いカルマが返ってきたなと感じたときは、むやみやたらに落ち込むのではなく一度立ち止まって、自分の進むべき道が間違っていないか冷静に考えることが大事になります。

努力が報われなかった

カルマというのは努力にも当てはまります。

例えば、目標にしている学校に行くために一生懸命勉強していたとします。

しかし、本番のテストで良い結果を出すことができずに受験に落ちてしまったとします。

じゃあ、そのような勉強した努力は無駄で悪いカルマだったのかというとそうではありません。

先ほど、私たちは生まれてくる前に未熟な部分を成長させるために生まれてきたとお伝えしましたが、今回の受験の失敗の場合は、「あなたは別の学校に行った方が成長できますよ」というメッセージであったりします。

なので、受験に落ちたと落胆するのではなく、「やることはやった!それで落ちたのだから私の魂の導きは違う学校にあるんだ!そっちにいこう!」と考えてみたり、「今回はダメだったけどもしかしたら来年の方がいいのかもしれない!来年頑張ろう!」という風に、霊界からのメッセージを意識して、今の自分はどこに行きたいのか、何をしたいのかというのを冷静に考えてみると、実は受験に落ちても落胆することでもなく、きっと前向きに人生を進んでいけると思っています。

また、その受験に対して行った努力も必ず何らかの形で良いカルマが返ってきます。

カルマとはそのような普遍の法則といえるのです。

カルマを上手に使おう

ここまでカルマについてお伝えしてきました。

ぜひ、この知識を忘れずに日常に取り入れてみましょう。

「良い行いをすれば良い行いが返ってくる。悪い行いをすれば悪い行いが返ってくる」

この真理に生きれば必ず幸せになれます。

 

 

魂年齢とは?

魂年齢とは?

魂年齢とは簡単にいうと生まれ変わりの回数をいいます。

しかし、生まれ変わりと言っても時にカルマを増やして霊界に返ってしまうこともあるため、生まれ変わりの回数が多いから魂年齢が高いとは必ずしもなりません。

ですご、何度も生まれ変わりを繰り返していくことで、最終的には必ずカルマが解消されていくので、生まれ変わりの回数に比例して魂年齢が高くなります。

また、魂年齢という言葉は魂レベルということもあります。

これらの魂年齢や魂レベルという言葉は、霊性霊格という言葉を分かりやすくした言葉になります。

魂年齢はどこで判断できる?

魂年齢を判断するときは、その人の善性で判断します。

ところで、善ってそもそもなんなんだって話しだと思うのですが、簡単!スピリチュアルな視点で見る善と悪とは - スピリチュアルのすすめで詳しく書かせて頂いたのですが、善とは①相手を理解する心②相手を許す心③相手を思う思いやりといった利他的な行動・言葉・想いだと私は思っています。

また、これらの行いをすれば最終的にみんなが幸せになれます。

それを、沢山理解している知恵があるともいえるので、善は真理や叡智ともいえます。

この善性の度合いが強いとそれだけ魂年齢が高く大人の魂といえます。

逆に、悪は①相手を理解しない身勝手な心②相手を許さず恨み、憎しみを持つ心といった利己的な行動・言葉・想いになります。

また、これらの身勝手な行いをみんなが行えば最終的にみんなが不幸になることになってしまいます。

それを正しいと思って行ってしまうということは、それだけ知恵がないということなので無知と言い換えることもできます。

この悪性が強いほど魂年齢が低いといえます。

ものすごく勘違いしやすい魂年齢

きっと今回の記事を読んでいただいて、自分は魂年齢が高いほうだと思った人もいると思います。

しかし、そこで大きく勘違いしてしまう場合があります。

それが、自分は魂年齢が高いから偉いんだと思って相手のことを見下してしまう場合です。

魂年齢が高いとはそういうことではないのです。

魂年齢が高い人は大人、魂年齢が低い人は子供と考える

ここから少しややこしいのですが、魂年齢が高い人を大人という言葉に変えて、魂年齢が低い人を子供という言葉に変えてみると分かりやすくなります。

例えば、大人のあなたが道を歩いているところに、小学生1年生の子供を見かけたとします。

さて、このとき、大人のあなたはその小さな小学生に対して「お前は無知でバカだなぁ」と言ったとします。

さて、そのような大人のあなたを周りの人が見みたときどう思いますか?

「バカはお前だろ」と、絶対に思われますよね。

このように、自分が正しく偉くて相手はバカで無知なのだという思いは、無知という未熟な悪の心から出てくる思いなので、実は、魂年齢が高いと思っていた人自身が無知であるが故に魂年齢の低い行動をしてしまっていたということがよくあります。

なので、このように善で生きてると思ったら悪は自分だったとならないように常に自分の行動が善か悪かと考えて行動しなければいけません。

また、そうならないためにはどうしていきましょう?

魂の仕組みを理解しよう

魂は1つ

私達は、現世に生まれてくる前に霊界というところにいて、そこでみんなが暮らしてます。

霊界ではとても浄化が進んでいるため、性別や名前や姿形も必要なく、コップ一杯の中に水の水滴一つ一つが集まって一つの水になっているように、私もあなたも、そこの人も、あっちの人もみんな元々は一つの存在です。

ですから、現世でもそれと同じように、誰かが偉くて誰かは偉くないという存在ではないのです。

なので、現世に置いても見下すということは、結局のところ自分自身を見下しているという非常に愚かな行動なわけです。

魂年齢を上げるには

最後に魂年齢を上げる方法をお伝えできればと思います。

それはズバリ、沢山経験することです。

もちろん、悪いことをしてもそれがそのまま自分に返ってきてしまうので幸せになることはできません。

しかし、そうではなく悪気なく間違った選択をしてしまったり、失敗してしまったりすることで、人から理不尽に傷つけられることもあれば救われることもあります。

そのような経験を通して、本当の幸せとはなんなのか、正しいとはなんなのかということを本当の意味で理解し、一つずつでも継続的な実践でできるようになることが魂年齢の成長になります。

なので、魂年齢を上げるには生まれてきた意味を正しく理解し、この現世での怖いこと、不安なこと、心配なことなど気にせず、恐れることなく沢山の経験をすれば、実はそれだけで魂年齢というのは自然と上がっていくのです。

人生には喜怒哀楽すべてが必要です!

ぜひ、実践してみましょう!

 

 

 

 

 

 

 

 

真理に生きることが幸せにつながる

生まれてきた理由

スピリチュアルの視点で見てみると、私たちは、より魂を成長させたいと思って霊界から現世にやってきました

成長するということは、より真理を理解するということでもあります。

しかし、真理を理解するにあたってどうしても苦しみが必要になります。

というよりかは、真理に生きないから苦しんでしまいます。

真理に生きない苦しみ

例えば、床に画鋲が落ちていたとします。

その上を歩いたらどうなるでしょうか?

当然、足に刺さって苦しみます。

しかし、靴を履いていれば靴が守ってくれるので苦しむ必要はなくなります。

実は、真理というのはそんなもので、息が止まれば死ぬ、暑くなると汗をかく、良いことをすれば良いことが返ってきて悪いことをすれば悪いことが返ってくる等、実は意外とシンプルだったりします。

真理を歪めてはならない

真理というのは常に変わることがありません。

例えば、以前、調べ物をしていたら平安時代に偉い人が城から人に目掛けて弓矢を打つ練習をしていたそうです。

ところが、それを見た近くの人が、人には可哀想だから打ってはいけないと言って止めたという話しがありました。

そこにあるのは思いやりであり、思いやりを持たなければいけないというのは永遠に続く真理になのです。

苦しみとは楽しみ

人はどうしても苦しみを嫌がり、楽で苦労をしない方に進みたがります。

もちろん、時に休むことも必要ですし、遊びに行って楽しむということも必要です。

しかし、霊的真理から見てみると、実は、苦しみも幸せなのです。

なぜなら、苦しみがあるから人の気持ちが理解できるようになり、それはすなわち幸せになるための霊的真理を理解したともいえるからです。

 

また、霊界では霊的真理を基準にしてみんなが生活しているため、無視されたり、意地悪されたりといった苦しみを味わうことができないのです。

というのも、霊界では、みんなが自分自身ということも理解しているので、身勝手に生きても意味がなく、思いやりを持ってみんなで生きていくことが幸せだということを頭で理解できているか、です。

 

しかし、それは本当の理解ではなく、みんなが優しいから優しくできるということで、相手から意地悪された時にそれでも他者を理解して思いやるという霊的真理を本当の意味で理解しているとはならないのです。

それができるようになるためには、現世での実践が必要になります。

そして、現世でより多くの喜怒哀楽を経験をして学び成長していくのです未熟です。

が、その苦しみは真理を学ぶための栄養であり、そのおかげで日々成長させてもらえているということが理解し、魂のレベルで成長させてもらえていることが理解できれば、むしろ、現世でしか学べない苦しみにもありがたく感謝できるようにります。

幸せとは恐れないこと

ここまで、苦しみというのは幸せになるための栄養であり、悪いことではないんだよということをお伝えさせていただきました。

それがわかれば、あとはそれを日常に取り入れていくとあっという間に人生は好転します。

「あ〜、今日はあんな嫌なことがあった。死にたい」なんて思うときは、ただ苦しんで不幸に生きるのではなく、「この嫌なことはどんなメッセージがあるのかな?」、「自分にどっか未熟な部分はなかったかな?」と考えて、苦しい出来事もなぞなぞの問題を解くように、楽しく人生を生き抜いていってみてはいかがでしょうか。

 

 

 

 

 

自己中だと勘違いされてしまう

たまに自分では悪気がないのに自己中などと言われてしまったりして自分の存在を否定してしまう人がいます。

しかし、実はそういう人は自己中ではありません。

自己中ってどんな人?

さて、自己中ってどんな人でしょう。

私は、自己中とは自分のことの利益だけを考えて人を蹴落としてでも得しようとする人だと思っています。

そして、そのような人は自分が正しいと勘違いしてしまっていたりするので、好き勝手暴走している自覚すらない事もよくあります。

なので、もし自分では自己中な行動をしているつもりがなく勘違いされてしまうという場合は、表現が苦手というだけで少なくとも私はそのような人を自己中と思うことはありません。

相手は自分の鏡

勘違いしてしまう人もまた自己中

よく人は「あの人って自己中だから嫌い」など言ったりしますよね。

しかし、実はこれは自分自身の自己中な姿の写し鏡であることがよくあります。

よく人は、自己中だと言われている人のことをみんなで嫌って陰口ばっかり言っていたりしますよね。

でもそのような人達は、実は相手の内面を見ずに、自分たちが正しくあいつが悪いという自己中な考え方が相手の姿を通して炙り出されてるという事もよくあるのです。

もし、そのように自分本位な考え方になってしまっている場合は改めていかなければいけません

本当に身勝手の場合

また、本当に自分のことしか考えていない自己中な人もいます。

しかし、そのような人に出会うというのもスピリチュアルな視点で見ても意味があります。

それは2つあって、1つは先ほど述べたように自分の未熟な部分を表す鏡である場合と、もう一つが、自分の未熟な部分を鍛えるために出会わせてもらえたという意味もあります。

例えば、悪気もなく自分好き勝手に行動してしまう人は当然ながら自分が正しいと思っているので反省する気すらないわけです。

そんな相手はそもそも協調する気がないわけですから、そのような人と協調するというのはとても大変です。

しかし、逆に言うと、そのような人を思うがままにさせてしまっていたり、いちいち感情的に反応してしまう自分自身の未熟な部分が逆写し鏡として出てきたりもします。

また、それは悪いことではなくて、現世というのは悪魔で人格を育てる学びの場になります。

ですから、そのような人に出会っても感情的になって「あいつは嫌いだ!」となるのではなく、なぜそのような人と出会ったのか、なぜ今の環境で出会ったのかなどを考えて、私の未熟な部分ってなにかなぁと考えて、悩みができたときは苦しいと思いますが、苦しいということは自分に未熟な部分がある証拠であり、その苦しみを乗り越えるということは新たに知恵を学べたということになります。

新しく知恵を学べたということは、真理を理解したとも言え、真理を理解したということは、次に同じような問題が起こっても悩むことなく対処できるようになったり、また、相手の気持ちも手に取るように分かるようになります。

そうなるとむやみやたらに感情で相手を嫌うこともなくなり、淡々と相手のことを考えて行動できるようになります。

それは、自分の人格が成長した、魂の成長したということでもあり、さらなる幸福を得られるようになったといえるわけです。

ですから、スピリチュアルな視点で見ると、苦しみとは幸せのための栄養として実はとても大切なものといえます。

現実的な対処法

さて、ここまではスピリチュアルな視点で解説させていただきましたが、ここからは勘違いされてしまう場合の現実的な対処法をお伝えしますね。

事前に伝えておこう!

もし、どうしても勘違いされてしまう場合は事前に勘違いされやすいことを伝えてみましょう。

事前に伝えておくことで、相手にも悪意がないことが伝わるので理解してもらえやすくなります。

また、勘違いされてしまった時には、その都度、悪気がなかったことを謝って伝えてみるようにしてみましょう。

そうすれば相手も理解しやすく、仲良くコミュニケーションをとりやすくなれるようになりやすくなります。

ぜひ、やってみてはいかがでしょうか。