スピリチュアルのすすめ

スピリチュアリズムについて記事を書いてます。

カルマの解消!スピリチュアルな視点で見たカルマとは?

皆さんはカルマという言葉を聞いたことはありますか?

人によっては、初耳という方もいると思いますが、スピリチュアルな視点で見た時に非常に重要で役に立つこのカルマについて細かくお話しさせていただきますね。

カルマって何?

カルマとは良いことをすれば良いことが返ってきて、悪いことをすれば悪いことが返ってくるという法則をいいます。

カルマって本当にあるの?

この良いことをしたら良いことが返ってきて、悪いことをしたら悪いことが返ってくるというカルマの法則ですが、もしかしたら、人によっては信じられない人もいるかも知れませんね。

というのも、残念ながら世の中には、凄いいい人なのに凄い苦労をしていて、逆に、傍若無人で自分のことしか考えていないような人が裕福になっているということがあるからではないでしょうか?

確かに、いい人ほど苦しんで、未熟な人ほど裕福というのはあります。

しかし、見た目が幸せそうだから心も幸せかというとそうではなく、実は意外と心の中は、誰からも理解されずに人間関係がボロボロで苦しんでいたりすることもよくあります。

どんなにお金や学歴や大きな家など、目に見えるもので幸せになろうとしても残念ながら幸せにはなれません。

というよりかは、幸せになれていないから、もしかしたら、そういったもので自分の存在価値を見つけ出そうとしたいるのかもしれません。

カルマは必ず返ってくる

良い行いをしても、悪い行いをしても、そのカルマは必ず返ってきます。

しかし、そのカルマはすぐに返ってくるのではなく、数日から数十年単位の時間差で返ってきたりもします。

例えば、災害などが起きた時に見返りを求めず寄付したとします。

寄付ですから、何も見返りというものは返ってきませんが、霊界はそれを全て見ています。

なので、経済的に困った時にお金として臨時収入が入ってくるということでカルマが返ってくることもあれば、また違うタイミングで、その人に必要な人と出会わせてもらえるという風に良いカルマが返ってくることもあります。

ですから、何か良いことが起きた場合というのは実は偶然のように思えて、それまでに行なった良いカルマの結果ということもよくあります。

これと同じように、逆に、常日頃から悪い行いをしていると、事故に巻き込まれたり、誰かに見捨てられるというふうに悪いカルマが返ってきてしまうのです。

このように、カルマというのは良いカルマも悪いカルマもすぐに返ってくるわけではなく、長い時間差があったり、別の形で返ってくることもよくあります。

カルマは来世まで続く

また、散々現世で悪いことをしておいて、ある日、事故に巻き込まれて霊界に戻る場合でもカルマは法則によって返ってきます

そのような場合は、残念ながら来世に現世で行った悪いカルマが返ってくるようになってしまっています。

ですから、できる限り現世で沢山いい行いをして、悪いカルマを作らないようにすることが来世、ひいては永遠の幸せになることができるのです。

カルマは罰ではない

ここまで、カルマについて怖いこともかいてしまいましたが、しかし、カルマというのは罰ではありません。

少し話が逸れてしまいますが、私たちは、魂の成長のために現世に生まれてきますが、生まれてくる前の霊界にいる時に、どのような自分の未熟な部分(カルマ)を改善して成長していこうという計画を立てて生まれてきます。

そして、現世を生き抜く中で様々な選択に迫られることになります。

そんな中で、ある時にはきっと悪い判断や行いをしてしまう時もきっとあります。

そうすると悪いカルマが返ってきます。

しかし、悪いカルマが返ってくるというのは、「それ判断を間違っていますよ。悪いカルマを作らないように行動を変えて行かなければいけませんよ。」という霊界からの愛あるメッセージなのです。

ですから、悪いカルマが返ってきたなと感じたときは、むやみやたらに落ち込むのではなく一度立ち止まって、自分の進むべき道が間違っていないか冷静に考えることが大事になります。

努力が報われなかった

カルマというのは努力にも当てはまります。

例えば、目標にしている学校に行くために一生懸命勉強していたとします。

しかし、本番のテストで良い結果を出すことができずに受験に落ちてしまったとします。

じゃあ、そのような勉強した努力は無駄で悪いカルマだったのかというとそうではありません。

先ほど、私たちは生まれてくる前に未熟な部分を成長させるために生まれてきたとお伝えしましたが、今回の受験の失敗の場合は、「あなたは別の学校に行った方が成長できますよ」というメッセージであったりします。

なので、受験に落ちたと落胆するのではなく、「やることはやった!それで落ちたのだから私の魂の導きは違う学校にあるんだ!そっちにいこう!」と考えてみたり、「今回はダメだったけどもしかしたら来年の方がいいのかもしれない!来年頑張ろう!」という風に、霊界からのメッセージを意識して、今の自分はどこに行きたいのか、何をしたいのかというのを冷静に考えてみると、実は受験に落ちても落胆することでもなく、きっと前向きに人生を進んでいけると思っています。

また、その受験に対して行った努力も必ず何らかの形で良いカルマが返ってきます。

カルマとはそのような普遍の法則といえるのです。

カルマを上手に使おう

ここまでカルマについてお伝えしてきました。

ぜひ、この知識を忘れずに日常に取り入れてみましょう。

「良い行いをすれば良い行いが返ってくる。悪い行いをすれば悪い行いが返ってくる」

この真理に生きれば必ず幸せになれます。

 

 

魂年齢とは?

魂年齢とは?

魂年齢とは簡単にいうと生まれ変わりの回数をいいます。

しかし、生まれ変わりと言っても時にカルマを増やして霊界に返ってしまうこともあるため、生まれ変わりの回数が多いから魂年齢が高いとは必ずしもなりません。

ですご、何度も生まれ変わりを繰り返していくことで、最終的には必ずカルマが解消されていくので、生まれ変わりの回数に比例して魂年齢が高くなります。

また、魂年齢という言葉は魂レベルということもあります。

これらの魂年齢や魂レベルという言葉は、霊性霊格という言葉を分かりやすくした言葉になります。

魂年齢はどこで判断できる?

魂年齢を判断するときは、その人の善性で判断します。

ところで、善ってそもそもなんなんだって話しだと思うのですが、簡単!スピリチュアルな視点で見る善と悪とは - スピリチュアルのすすめで詳しく書かせて頂いたのですが、善とは①相手を理解する心②相手を許す心③相手を思う思いやりといった利他的な行動・言葉・想いだと私は思っています。

また、これらの行いをすれば最終的にみんなが幸せになれます。

それを、沢山理解している知恵があるともいえるので、善は真理や叡智ともいえます。

この善性の度合いが強いとそれだけ魂年齢が高く大人の魂といえます。

逆に、悪は①相手を理解しない身勝手な心②相手を許さず恨み、憎しみを持つ心といった利己的な行動・言葉・想いになります。

また、これらの身勝手な行いをみんなが行えば最終的にみんなが不幸になることになってしまいます。

それを正しいと思って行ってしまうということは、それだけ知恵がないということなので無知と言い換えることもできます。

この悪性が強いほど魂年齢が低いといえます。

ものすごく勘違いしやすい魂年齢

きっと今回の記事を読んでいただいて、自分は魂年齢が高いほうだと思った人もいると思います。

しかし、そこで大きく勘違いしてしまう場合があります。

それが、自分は魂年齢が高いから偉いんだと思って相手のことを見下してしまう場合です。

魂年齢が高いとはそういうことではないのです。

魂年齢が高い人は大人、魂年齢が低い人は子供と考える

ここから少しややこしいのですが、魂年齢が高い人を大人という言葉に変えて、魂年齢が低い人を子供という言葉に変えてみると分かりやすくなります。

例えば、大人のあなたが道を歩いているところに、小学生1年生の子供を見かけたとします。

さて、このとき、大人のあなたはその小さな小学生に対して「お前は無知でバカだなぁ」と言ったとします。

さて、そのような大人のあなたを周りの人が見みたときどう思いますか?

「バカはお前だろ」と、絶対に思われますよね。

このように、自分が正しく偉くて相手はバカで無知なのだという思いは、無知という未熟な悪の心から出てくる思いなので、実は、魂年齢が高いと思っていた人自身が無知であるが故に魂年齢の低い行動をしてしまっていたということがよくあります。

なので、このように善で生きてると思ったら悪は自分だったとならないように常に自分の行動が善か悪かと考えて行動しなければいけません。

また、そうならないためにはどうしていきましょう?

魂の仕組みを理解しよう

魂は1つ

私達は、現世に生まれてくる前に霊界というところにいて、そこでみんなが暮らしてます。

霊界ではとても浄化が進んでいるため、性別や名前や姿形も必要なく、コップ一杯の中に水の水滴一つ一つが集まって一つの水になっているように、私もあなたも、そこの人も、あっちの人もみんな元々は一つの存在です。

ですから、現世でもそれと同じように、誰かが偉くて誰かは偉くないという存在ではないのです。

なので、現世に置いても見下すということは、結局のところ自分自身を見下しているという非常に愚かな行動なわけです。

魂年齢を上げるには

最後に魂年齢を上げる方法をお伝えできればと思います。

それはズバリ、沢山経験することです。

もちろん、悪いことをしてもそれがそのまま自分に返ってきてしまうので幸せになることはできません。

しかし、そうではなく悪気なく間違った選択をしてしまったり、失敗してしまったりすることで、人から理不尽に傷つけられることもあれば救われることもあります。

そのような経験を通して、本当の幸せとはなんなのか、正しいとはなんなのかということを本当の意味で理解し、一つずつでも継続的な実践でできるようになることが魂年齢の成長になります。

なので、魂年齢を上げるには生まれてきた意味を正しく理解し、この現世での怖いこと、不安なこと、心配なことなど気にせず、恐れることなく沢山の経験をすれば、実はそれだけで魂年齢というのは自然と上がっていくのです。

人生には喜怒哀楽すべてが必要です!

ぜひ、実践してみましょう!

 

 

 

 

 

 

 

 

真理に生きることが幸せにつながる

生まれてきた理由

スピリチュアルの視点で見てみると、私たちは、より魂を成長させたいと思って霊界から現世にやってきました

成長するということは、より真理を理解するということでもあります。

しかし、真理を理解するにあたってどうしても苦しみが必要になります。

というよりかは、真理に生きないから苦しんでしまいます。

真理に生きない苦しみ

例えば、床に画鋲が落ちていたとします。

その上を歩いたらどうなるでしょうか?

当然、足に刺さって苦しみます。

しかし、靴を履いていれば靴が守ってくれるので苦しむ必要はなくなります。

実は、真理というのはそんなもので、息が止まれば死ぬ、暑くなると汗をかく、良いことをすれば良いことが返ってきて悪いことをすれば悪いことが返ってくる等、実は意外とシンプルだったりします。

真理を歪めてはならない

真理というのは常に変わることがありません。

例えば、以前、調べ物をしていたら平安時代に偉い人が城から人に目掛けて弓矢を打つ練習をしていたそうです。

ところが、それを見た近くの人が、人には可哀想だから打ってはいけないと言って止めたという話しがありました。

そこにあるのは思いやりであり、思いやりを持たなければいけないというのは永遠に続く真理になのです。

苦しみとは楽しみ

人はどうしても苦しみを嫌がり、楽で苦労をしない方に進みたがります。

もちろん、時に休むことも必要ですし、遊びに行って楽しむということも必要です。

しかし、霊的真理から見てみると、実は、苦しみも幸せなのです。

なぜなら、苦しみがあるから人の気持ちが理解できるようになり、それはすなわち幸せになるための霊的真理を理解したともいえるからです。

 

また、霊界では霊的真理を基準にしてみんなが生活しているため、無視されたり、意地悪されたりといった苦しみを味わうことができないのです。

というのも、霊界では、みんなが自分自身ということも理解しているので、身勝手に生きても意味がなく、思いやりを持ってみんなで生きていくことが幸せだということを頭で理解できているか、です。

 

しかし、それは本当の理解ではなく、みんなが優しいから優しくできるということで、相手から意地悪された時にそれでも他者を理解して思いやるという霊的真理を本当の意味で理解しているとはならないのです。

それができるようになるためには、現世での実践が必要になります。

そして、現世でより多くの喜怒哀楽を経験をして学び成長していくのです未熟です。

が、その苦しみは真理を学ぶための栄養であり、そのおかげで日々成長させてもらえているということが理解し、魂のレベルで成長させてもらえていることが理解できれば、むしろ、現世でしか学べない苦しみにもありがたく感謝できるようにります。

幸せとは恐れないこと

ここまで、苦しみというのは幸せになるための栄養であり、悪いことではないんだよということをお伝えさせていただきました。

それがわかれば、あとはそれを日常に取り入れていくとあっという間に人生は好転します。

「あ〜、今日はあんな嫌なことがあった。死にたい」なんて思うときは、ただ苦しんで不幸に生きるのではなく、「この嫌なことはどんなメッセージがあるのかな?」、「自分にどっか未熟な部分はなかったかな?」と考えて、苦しい出来事もなぞなぞの問題を解くように、楽しく人生を生き抜いていってみてはいかがでしょうか。

 

 

 

 

 

自己中だと勘違いされてしまう

たまに自分では悪気がないのに自己中などと言われてしまったりして自分の存在を否定してしまう人がいます。

しかし、実はそういう人は自己中ではありません。

自己中ってどんな人?

さて、自己中ってどんな人でしょう。

私は、自己中とは自分のことの利益だけを考えて人を蹴落としてでも得しようとする人だと思っています。

そして、そのような人は自分が正しいと勘違いしてしまっていたりするので、好き勝手暴走している自覚すらない事もよくあります。

なので、もし自分では自己中な行動をしているつもりがなく勘違いされてしまうという場合は、表現が苦手というだけで少なくとも私はそのような人を自己中と思うことはありません。

相手は自分の鏡

勘違いしてしまう人もまた自己中

よく人は「あの人って自己中だから嫌い」など言ったりしますよね。

しかし、実はこれは自分自身の自己中な姿の写し鏡であることがよくあります。

よく人は、自己中だと言われている人のことをみんなで嫌って陰口ばっかり言っていたりしますよね。

でもそのような人達は、実は相手の内面を見ずに、自分たちが正しくあいつが悪いという自己中な考え方が相手の姿を通して炙り出されてるという事もよくあるのです。

もし、そのように自分本位な考え方になってしまっている場合は改めていかなければいけません

本当に身勝手の場合

また、本当に自分のことしか考えていない自己中な人もいます。

しかし、そのような人に出会うというのもスピリチュアルな視点で見ても意味があります。

それは2つあって、1つは先ほど述べたように自分の未熟な部分を表す鏡である場合と、もう一つが、自分の未熟な部分を鍛えるために出会わせてもらえたという意味もあります。

例えば、悪気もなく自分好き勝手に行動してしまう人は当然ながら自分が正しいと思っているので反省する気すらないわけです。

そんな相手はそもそも協調する気がないわけですから、そのような人と協調するというのはとても大変です。

しかし、逆に言うと、そのような人を思うがままにさせてしまっていたり、いちいち感情的に反応してしまう自分自身の未熟な部分が逆写し鏡として出てきたりもします。

また、それは悪いことではなくて、現世というのは悪魔で人格を育てる学びの場になります。

ですから、そのような人に出会っても感情的になって「あいつは嫌いだ!」となるのではなく、なぜそのような人と出会ったのか、なぜ今の環境で出会ったのかなどを考えて、私の未熟な部分ってなにかなぁと考えて、悩みができたときは苦しいと思いますが、苦しいということは自分に未熟な部分がある証拠であり、その苦しみを乗り越えるということは新たに知恵を学べたということになります。

新しく知恵を学べたということは、真理を理解したとも言え、真理を理解したということは、次に同じような問題が起こっても悩むことなく対処できるようになったり、また、相手の気持ちも手に取るように分かるようになります。

そうなるとむやみやたらに感情で相手を嫌うこともなくなり、淡々と相手のことを考えて行動できるようになります。

それは、自分の人格が成長した、魂の成長したということでもあり、さらなる幸福を得られるようになったといえるわけです。

ですから、スピリチュアルな視点で見ると、苦しみとは幸せのための栄養として実はとても大切なものといえます。

現実的な対処法

さて、ここまではスピリチュアルな視点で解説させていただきましたが、ここからは勘違いされてしまう場合の現実的な対処法をお伝えしますね。

事前に伝えておこう!

もし、どうしても勘違いされてしまう場合は事前に勘違いされやすいことを伝えてみましょう。

事前に伝えておくことで、相手にも悪意がないことが伝わるので理解してもらえやすくなります。

また、勘違いされてしまった時には、その都度、悪気がなかったことを謝って伝えてみるようにしてみましょう。

そうすれば相手も理解しやすく、仲良くコミュニケーションをとりやすくなれるようになりやすくなります。

ぜひ、やってみてはいかがでしょうか。

 

 

 

 

アセンション詐欺に気をつけろ!

最近、巷ではアセンションや次元上昇、スターシードといった言葉が流行っていますね。

もしかしたら、騙されてしまっている人もいるかもしれないので、今回はそのことについて解説させていただきます。

アセンションとは何か

アセンションとは2030年ごろ新しい地球と今の地球に別れて、アセンションを選択した人は新しい地球に移動してひたすら幸せなことしか起きなくなる現象をいうようです。

また、アセンションという言葉を言い換えて次元上昇という人もいるようです。

アセンションはすでに2回きてる

実は私はアセンションという言葉を10年以上前に聞いたことがあります。

最初のアセンションは2012年12月28日

実は、2021年12月28日頃にアセンションするということはバシャールという人が言っていました。

それに影響されてか、当時はブログが全盛期の時代だったので、スピリチュアル好きの多くの人が2012年12月28日頃にアセンションするというようなことを言っていたのを覚えています。

もちろん、2012年には何も起きませんでしたが。

そのため、当時の比較的人気のあったブログなどはアセンションの日以降、批判を恐れて閉鎖したりしていたのを覚えています。

2回目のアセンションは2021年12月22日

2回目のアセンションは比較的最近の2021年12月22日にありました。

当然、何も不思議なことが起こりませんでした。

3回目のアセンションは2030年頃

どうも著名なユーチューバーさんなどは2030年頃にアセンションが起こると言っていますが絶対に起きません。

命をかけましょう。

そもそも、彼らは10年以上スピリチュアルに精通していたという人もいるそうですが、もしそうなら2012年に何も起きなかったことぐらい知っているはずです。

知らないということは、そもそも経歴を嘘ついているか、もしくは鼻からアセンションで人を騙して儲けようとしているのかも知れません。

次元上昇は違う意味でありえる

最近は、アセンションが嘘だとバレるせいか次元上昇という言葉に変えて、同じようなことを語る人がいます。

ですが、意味が変わりますが、スピリチュアリズムの視点から見ても次元上昇というのはあります。

それは魂は鉱物→植物→動物→人間→その先というふうに霊格の向上や生まれ変わりにやって人生の経験値が増え知恵を増やしていく霊性の向上を意味するものなので、「今まで散々ずるいことしたけど今の私は選択しただけで幸せになれるのよ〜」というような意味不明なものではありません。

詐欺には注意

このような人類滅亡説というのは10年間隔くらいでやってくるようです。

詐欺師にお金を盗まれないように注意しましょう。

 

あなたは私だ!スピリチュアルな視点から見た魂とは

私たちは、現世の普段の生活の中で多くの人々と出会います。

仲のいい人、嫌いな人、家族、結婚相手、さらにはペットなど多くの魂と関わりを持ちます。

しかし、スピリチュアルな視点から見てみると、実はそんな私やあなた、さらにペットや植物、鉱物でさえもすべて同じ1つの魂になります。

人間は地球の上級生

みなさんの周りに嫌な人や嫌いな人がいますか?

実は、人間の魂は地球上では上級生にあたります。

魂は鉱物→植物→動物→人間というふうに進化していきます。

この霊格の差は愛情表現の差になります。

みなさんの中には動物を飼ったり、植物を育てたりという方もいると思います。

私もペットを飼ったことがありますが、そのペットの仕草や声などでなんとなく何を言いたいのかわかるときってありますよね。

スピリチュアルな視点から見ると、人間の場合は過去生に動物や植物や鉱物として現世に生まれてきたことがあるので、たとえことばで話すことができなくても動物の仕草などで動物が何を考えているかというのが魂の記憶として理解しています。

また、人間から更に上に成長した場合はどうなっていくのでしょう。

その時は、とうとう地球からの卒業になります。

そうなると、私たちは地球に生まれてくることはなくなり霊界でより大きなお仕事をもらえるようになります。

人間には動物や植物、鉱物を守らなければならない

今の世の中でも、家畜の殺し方やいらなくなったペットの殺処分という人間の身勝手な行動によって惨殺される動物が沢山います。

しかし、すべての魂は類魂なので人間はそのような行動は改めなければいけません。

最近では、多少は家畜に対しての殺し方というのも配慮はあるものの、残念ながらまだまだ惨殺と言ってもいいような殺され方をしている動物もたくさんいます。

しかも、肉にしておいて平気で売れ残りを廃棄処分していたり、食べ残してしまったりしています。

さらには、家畜どころか飽きたペットをそのまま捨ててしまって最終的に殺処分されてしまったり、外来種の生き物をそのまま自然に帰してしまって、環境が破壊されてしまっている現実があります。

色々、事情があるのはわかりますが、全ての生き物を無慈悲に殺したり、環境破壊は許されるものではなく、同じ類魂として人類が責任を持って変えていがなければいけません。

人間には他の命を助ける事もできる

ここまで暗い話をしてしまいましたが、人には他の生き物にはできないことがあります。

それは、地球上にいるすべての生き物との共存共栄です。

他の生き物ではできませんが、人間であれば犬や猫、ヘビやアリでも一緒に生活することができます。

また、山を切り崩して家などを建てたが故に餌がなくなり、クマやイノシシが町に出てきてしまい被害に遭うこともあれば、もっと野生の動物のことを考え、山を切り崩さず自然との共存共栄を目指せば被害も多く減らせることもできます。

スピリチュアルの実践

ここまで、類魂について話しをさせていただきました。

私たちは、同じ類魂の上級生として全ての生命と共存共栄を考えなければいけません、

そのためには知識だけで終わらせず行動を起こして変えていくことが必要です。

スピリチュアルな視点から見ると、人間にはすべての魂と共存共栄する力があり、その使命があるのです。

そして、良いことをすれば良いことが返ってくるという好循環なカルマが働き、より私たちは全ての生き物が幸せに生きられる最高の幸福の中で生活ができるようになると私は信じています。

 

 

 

 

 

 

善悪の判断!これで簡単解決!

善ってなに?悪ってなに?

子供から「ねぇねぇ、善ってなに?悪ってなに?」と、質問をされたらどのように返しますか?

多くの人は、「世の中に善悪はないんだよ」とか、「人のためにすることが善なんだよ」と伝える人も多いのではないでしょうか。

 

しかし、そこからさらに突っ込まれて、「じゃあなんで戦争はダメなの?」や、「その人助けが偽善だったらどうするの?」と言われたら困ってしまう人も多いのではないでしょうか?

善悪の定義

善悪には明確な定義があります。

まず、善とは許す心・理解する心・思い遣りなどの利他的な人の幸せを考えて行う行動・言葉・思いをいいます。

また、夢や目標のための努力や向上心も様々な経験が人の気持ちの理解に繋がるのでこれも間違った行いでへありません。

ただし、人を騙したり陥れたりしてでも夢や目標を掴み取りたいという思いは自分のことだけを考えた行動は悪といえます。

逆に、悪は、人の気持ちを理解しようとしない無理解や身勝手な心、人を許さない恨みなど自分さえよければいいという身勝手な行動・言葉・思いになります。

悪に生きてなにが悪い?

「あれ?ちょっと待って。そもそもなんで悪に生きたらいけないの?自分の好きなように生きたほうが幸せじゃん。なんで周りにいちいち気を配らないといけないの?」

なんて思う方もいるかもしれません。

実はその通りで、別に悪だといわれる行動をすることも実は悪いことではないのです。

しかし、悪に生きた場合、その先に必ず苦しみが待っています。

例えば、楽して詐欺で稼いだとしても、そのうち逮捕されて刑務所で何年も不自由な生活を送らなければなりませんし、ネットに実名や顔が出てしまうと、今後数十年はまともな生活も送れなくなってしまうわけです。

また、詐欺などの犯罪行為でなくとも、いつも自分のことだけ考えて身勝手な行動をするならば周りの人と必ずケンカになります。

そんなケンカが続いてしまうと気持ちも良くないですし、そのうち「どうして誰も自分を理解してくれないんだ」と、劣等感という苦しみ味わってしまう結果になってしまいます。

悪とは苦しみの道なのです。

善に生きる幸せ

しかし、善の心で生きると逆のことが起こります。

それが幸福です。

例えば、詐欺などの犯罪を犯さなければ、刑務所に入る必要もありませんし、周りと仲良く調和が取れれば気分が悪くなるどころか幸せを得ることができるようになります。

困った時はお互い様。

不平等な差別や格差もありません。

まさに幸福のユートピアといえるのではないでしょうか。

善と悪は叡智と無智

また、善と悪の定義を叡智と無智に置き換えることもできます。

例えば、給料日までの残り3日間の間に1万円で生活しなければいけないとします。

きっと多くの人は、その1万円から食費や必要経費を引いて余ったお金をちょっとした贅沢に使うという知恵があると思います。

しかし、その3日間を計画的に考えて生活する知恵がなければ、1日目にして遊園地に行きたいという感情を抑えられず、1日目にして1万円を遊園地で使い果たしてしまったとします。

そうすると残り2日間はお金がないため飲まず食わずで無用な苦しみを味わってしまうことになります。

それと同じで、嫌がらせや身勝手な犯罪行為といったいわゆる悪い行いというのは、悪いことをしたら悪いことが返ってくるというカルマの法則を理解していない無智からきている行動なだけなのです。

だからといって悪い行いは無智なだけだからほっとけばいいということではありません。

悪そのものは許してはいけないのです。

罪を憎んで人を憎まず

昔から罪を憎んで人を憎まずという言葉がありますね。

この諺の意味は、罪は許してはいけないが罪を犯した人はそれぞれ事情があったのだから許してあげましょうという意味ですが、これはとてもスピリチュアリズムに乗っ取った諺といえるかなと思います。

これはなぜかというと、悪い人という人は別の言い方をすると無智の人になります。

これは、無智であるが故に罪を犯したというふうに人を理解できれば、正しく知識と知恵を与えることができれば知恵の人、つまり善人に変わることが必ずできるようになるのです。

なぜ悪は許してはならないのか?

「ちょっと待って。さっき善の定義で許すことは善と言っていたじゃないか」と、思う方もいるかと思います。

しかし、悪い行動そのものは相手のために許してはならないのです。

例えば、万引きという行為そのものを無罪にして許してしまうと、きっと多くの人が万引きを始めてしまいます。

しかし、そうなってしまうと、当然治安も悪くなってまともな生活もできなくなってしまいます。

もしかしたらさらに調子に乗ってドンドン悪い行いを増やしてしまうかもしれません。

そうなると、結局、悪いカルマは時間差で自分に必ず返ってきて、自分で自分の首を絞めることになり、その悪を放置していた人々にも同じように生活苦という形で返ってきてしまいます。

なので、悪人というのは知恵を与えて善人に成長することができますが、悪そのものを許してしまうと、そこには悪が蔓延りみんなが不幸になってしまい、また、その不幸も無智という悪によって起こっているともいえます。

なので、幸せに生きるためには悪の行動・言葉・思いを減らし、善の行動・言葉・思いを増やすことがとっっっっても大事なのです。